前の記事の、いつもの[野菜直売所]から[嬬恋キャベツ畑]・・・ 
地元のスーパーへ寄って。
帰り道、急に思い出しました!!
道路沿いに、新しい直売所[あさまのいぶき]が、8/1 オープンしたのでした!!
ちょうど、前を通るので寄ってみました。
平日のせい?
駐車場が ガラ~ンとしていて、オープン早々 お休み? 
・・・ やっていました♪



まだ オープンしたばかりだからなのか、品数が少ないような!?
[愛妻はちみつプリン]というのを買ってみました。
[tsumagoi bee garden]と書いてあります。
地元の養蜂場のハチミツが入っているのですね♪

香料等入っていなくて、卵の香りで自然の味の美味しいプリンです♪

孫のSが「何、アレ?」と。
直売所のすぐ隣に「鎌原観音堂へようこそ」と書かれています。 

ここは、この辺りで知らない人はいない【鎌原観音堂】です。
昔、標高 2,568mの[浅間山]が、その昔 大噴火した時の歴史を知るにはとても大事な所です!!


天明3年(1783年)8月5日(旧暦7月8日)、浅間山火口から12km離れた鎌原村は、浅間山の大噴火による「土石なだれ」に襲われました。
当時の村の人口570人のうち、477人もの尊い人命が失われたのです!!
噴火による土石なだれに気づき、この観音堂にたどり着いたわずか93人だけが奇跡的に助かりました。



この “鎌原村” は、大噴火によって、村全体が埋まってしまった場所です!!
このことから《東洋のポンペイ》と呼ばれています。
村で唯一残ったのは、高台にあった【鎌原観音堂】だけで、
村は 一瞬にして5~6mの土石の下に埋まってしまいました!!
石段は当時50段ありましたが、上から15段を残して土に埋もれてしまい、「天明の生死を分けた15段」として語り継がれています。
【鎌原観音堂】は村人を守った奇跡の地なのです。
赤い橋の下にも数段の石段が見えますが、多くの石段は土に埋もれています。

※ お写真はhpからお借りしました。 ↓



生き残った93人の人たちは村を捨てることなく復興に努めて、三十三回忌の際、隣村の援助をうけて、供養碑を建立したとのことです。

イタリアのポンペイと違うのは、埋没したその上に復興を果たしたということです!!

今では、230年前のその日、この辺り一帯が 土石流に覆われて、恐ろしい光景だったとは想像出来ない のどかな風景が広がり、爽やかな風が吹いています。

今でも、毎日 この場所に(右の建物) 地元のお年寄りが数人いて、訪れるどなたにも お茶と嬬恋キャベツのお漬物等をふるまっています。(コロナの影響でお休み?) ↓


偶然でしたが・・・
この日は・・・ 
230年前、浅間山が大噴火を起こした “8月5日” でした。 (゚ロ゚ノ)ノ

※ この【鎌原観音堂】のすぐ隣には資料館がありますので、
いずれ 改めて記事にしたいと思います。