休職が半年に及ぶなかで、退職向けに動いている。



「辞めたい」という意思は、とうに会社に伝えているつもりだったが、オレの周囲に余計な波風を立てたくないという配慮のせいか、オレの身体から、どうしてもにじみ出てしまう仏の「スマイル」のせいか(笑)、なかなか話が前に進めず、こじらせている。



しかし、明日の人事役員の方々との面談では、さすがに、



「もうこいつ、何を言っても無駄だな…」



という展開になるであろう。







不確かな未来に迷いが存在し、復職する選択を再投入して考え直すべきなのか、ぐるぐると同じところで悩んでいたことは確かだ。



で、つまづき、心を惑わすのは、やっぱカネのことだ。



何を隠そう、具体的な転職先や、これからの予定がほとんど決まっていない。


「いずれ食えなくなったら、野垂れ死ぬ」ことは、誰にも分かる。



カネは大事だ。がしかし、10年20年先の安定した生活のためというが、それを気遣って「今」に立ち続けていった結果、オレは5年後に正常に生きているだろうか?



オレは今回、「自殺だけはしねーよ」と言っている人間でも、地獄の底から得体の知れない手が伸びて、足首を絡めとられることはある、と知った。



そういう「幻想」に囚われてしまうと、金縛りのようにピッタリと体も心も動かせなくなるんだよ。






会社から、このような質問をされることが考えられる。



「退職を決断するのは、体調が回復してからでも遅くはないか?」



確かに、体調が悪いときに、重要な決断は下さない」ことは鉄則だ。



でも、今のオレには、こう切り返すより他はない。



「もう10年以上もうつ状態が続き、その間、三回も休職しているんですよ?



これは、そもそも仕事の内容や職場の環境に、向いていなかったんですよ。



諦めるというとのではないです。ただ、別の場所から違うアプローチでできる仕事を探すことが賢明ではないですか?



もしも、もしもですが万が一、復職して、私の身にに最悪の事態が起こったら、どうするんですか?」







だいたい、この手の話を投げると帰ってくるのが、



「あなたの人生だからねー、幸せになれると思う選択をするのは、あなただから…」



そりゃそうだよ、オレの人生だよ。



幸せになるのも、オレ様だよ。


「私にはあなたがどうしても理解できないみたいだけど、それで幸せならね、もう好きにすればいいじゃない」


というような、唐突に反旗を翻されることもある(笑)






当たり前過ぎるんだけど、ここでふと気づくのは、我々社員は、人生(心の私的な部分みたいな感じのもの)の一部(もしくは全部)を会社に預けていたのだろうか?



時間的精神的拘束には、対価が支払われ、これはドライな契約であると思う。


配属されてまともに出勤もできていなかった、NO愛社精神の私に対して、いきなり顔色をチェンジさせ、まるで「実の親」のようなマインドでアプローチしてくることは、妖怪に遭ったように薄ら寒い。







一方、複数の人間に信頼関係が構築されているチームのような職場なら、そのような情に感謝をすることはあると思う。



しかし、私がいたオフィスは、各人にバリアが貼られ、なかなか素顔で接することができなかった。



やはり、ここにきては、コミュニケーションに「消極的」という自身の要因が招いたことである。



しかし、今さらオレという他人のこれからの人生について心配されても、生ぬるい息を正面から顔にかけられたようで、顔を背けたくなる。







「健康上、勤務が不可能となった社員は、就業規則により退職、以上。」






組織なら組織、サークル活動ではないのだから、最後の最後に心情的なブレを生じさせ、お互いに無駄な感情を立ち上げてもらいたくないのである。