うつ病のオフ会に参加してきた。偶然にツイッターで情報を見つけた時、もしやこれが自分に必要とされているものかもしれない、という直感が働いた。以前、主治医に集団カウンセリングを提案されたことがある。その時は、仕事の都合で難しかったのだが、いつも頭のどこかで同じ病気の人と何かを共有することを求めていた。


一口にうつ病といっても、100人の患者がいれば100通りの症状や悩みがあると思っている。実際、メンバーには双極性障害やパニック障害など、病名も抱えている不安も社会的立場もも多種多様だった。それら全てに対して、単純に「あーわかるわかる!」とか、「やっぱ眠れないのは辛いのよねー」とか、一言で共感できるほど簡単なものではない。ただ心の根底に流れている仄暗いものについては、暗黙のうちに通じるものがあったと思う。


率直な感想を言おう。それぞれが病気であることを感じさせることがないくらいに、「普通」の飲み会だった。楽しかった。いわゆる合コンに参加している感覚の延長であったかのようだ(←失礼)。それは、幹事の丁寧な計らいのおかげであったかもしれないし、みんなせいいっぱいテンションを上げていたのかもしれないし、オレがただただ脳天気なだけだったのかもしれない。まあ、最後の理由が大きいような気もするが。


ふと思う。オレは常日頃からうつ病に対する偏見に文句をつけているが、一番偏った考え方をしていたのは自分自身だったのではないか。みんな何かのきっかけでがあってうつ病になったわけで、多少はそういう気質があったとしても、オギャーと生まれた時から病気を患っているわけではない。当然、仕事に就くこともできるし、誰かとコミュニケーションを取ることも当たり前にできるはずだ。精神疾患というフィルターを通して対象を覗くことは、この場ではふさわしい態度ではないのだ。自分がほとんど同じ病気の人と関係がなかったせいか、過度に構えていたことを反省する。


しかしみんな、例えばこの瞬間はどんな日常を過ごしているのだろう。対社会で向かい風にさらされなければならない時、どのようなことを考えているのだろう。どんな苦しみに耐えているのだろう。身も蓋もない言い方をすれば、会に参加して情報を共有することができても、結局は個人個人が自力で乗り越えていかなければいけないことだと思っている。


アカルイミライ。


誰もがそんな日を迎えることを切に願いながら、帰路についた。