アマゾンでエンディングノートなるものを衝動的に買ってしまった。遺書とは別に自分の死後の葬儀から解約するクレジットカードまで、遺族に残すために生前に書き記しておくというものだ。まだパラパラと概要を読んだだけなので何も書いていないのだが、最初に思ったことは、オレが死んでも変わらず世界が続いていく、そんな当たり前な感情である。


ここのところ、最悪に近いくらい体調が悪い。会社はおろか病院にも行くことができず、一日中横になって過ごしている。何時間でも寝続けることができれば、それほど楽なことはないのだが、人間はそんな「寝逃げ」をする生活は許してくれるようにできてはいない。ベッドの中で鬱々と考えているのは、「このままいなくなりたい」という根強い願望だ。幸か不幸か、実践できる方法まで辿りついていないのだが。


「死にたい」と100回思うとして、その99回は「やっぱ無理だ」というヘタレのような感覚だ。しかし、そのうち1回は、本気でマンションの最上階に向かおうとする。きっと、その本気の自殺衝動のうち、さらに100分の1くらいの確率で、人は自らの命を絶つのではないか。


自分が死んだとして、残された愛する人。その人が悲しむことはしたくない。疎遠にしている家族も、会社の同僚にも少ない友達にも悲しいという思いを抱いて欲しくない。たとえそこに少々の煩わしいという感情が含まれていたとしても。きっと、誰もいない世界で静かに死んでいく、そんな誰もオレの死を知ることがないという環境であれば、思い切った一歩が踏み出せるのだろう。


果たして10000分の1の日は近いのだろうか。エンディングノート。それはいかに自分が社会の一部として機能していたかを知らしめる、いささか面倒くさいものだという思いで、ページをめくっている。