渚のCHERRY エピソード
テーマ:ブログ「渚のCHERRY」は劇場公演曲
みぃちゃんは 2006年4月~8月に
TeamA 2nd「会いたかった」公演をしました
「渚のCHERRY」
私がみぃちゃんのファンになる前から
何度も何度も観た曲
当時私が みぃちゃんが気になって
調べていた時に見つけた以下の記事
知ってる人は多いと思うが
知らない人の為に紹介します
週刊プレイボーイで2010/4/26まで
11回にわたって連載された
AKB48ブレイクヒストリー
11回目のBONUS TRACK#2
以下原文そのまま
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メンバー間格差の悩み。平嶋夏海の場合
2006年3月某日。
AKB48・チームAが、2nd『会いたかった』公演のレコーディングのために集まったスタジオでのこと。
『会いたかった』公演のセットリストは、それまでチームAが行ってきた『PARTYが始まるよ』公演に比べて、センターに立つメンバーとそれ以外のメンバーの差が大きく感じられるものとなった。
そのなかでも特に顕著な形となったのが、前田敦子のユニット『渚のCHERRY』という曲。そこでは前田がセンターに立ち、峯岸みなみ、平嶋夏海、増山加弥乃の3人が脇を固めた。
その日、スタジオに先に来たのは峯岸、平嶋、増山の3人。
平嶋の述懐。
「3人で事前に仮歌の入った曲を聴いて、話していたんです。『多分、あっちゃんが歌う箇所が一番多いよね。覚悟しておこう』って。で、歌のパート表を見たら…『前田』と『オール』しか書かれていなかったんです。しかも歌詞は『チェーリーチェーリーボーイ』『チェーリーチェーリーガール』のふたつだけ」
呆然とする3人。それでもスタジオで懸命に歌う。スタッフから何度も「もっと元気に!」と激が飛ぶが、惨めで仕方なかったという。「この曲をステージに出て歌ったら…私のことを応援してくれているファンの人たちはどう感じるんだろう…」。そう考えたら涙が込み上げてきた。しかし、歯を食いしばりながら笑顔で歌い切った。
平嶋「スタジオを出た瞬間、ほかの曲のレコーディングで来ていた戸島花ちゃんと会ったんです。その顔を見た瞬間、私とみぃちゃん(峯岸)は花ちゃんの胸で泣きました。そうしたら、花ちゃんが『あっちゃんがもうすぐ来るよ。この姿を見せたらダメだよ!』ってトイレに連れていかれて。でも…後であっちゃんも、そのパート表を見て泣いていたんだよって聞きました。その後も『渚のCHERRY』の練習をやったんですけど、歌のパートの話は一切しませんでした」
その『会いたかった』公演も、8月11日に千秋楽を迎えた。すべての演目が終了し、最後にメンバーひとりひとりがこの公演を振り返り、ひと言ずつメッセージを語った。
トップバッターの峯岸が口を開く。その目は涙でいっぱいだった。
「いろんなことをAKB48で学びました。『渚のCHERRY』では、なぜ歌のパートがないんだろうって…。でも今では、踊ることが私の役目なんだと思うようになりました」
その日、メンバーたちは心の中に押し込んでいたことを吐き出し始めた。
平嶋「本当にあの頃は、みんな心に溜め込んでいたと思うんです。実はあの日の公演の前にひとりずつ、秋元先生から手紙をいただいていたんです。『今日、自分の思っていることをさらけ出しなさい』って。本当にそういうタイミングだったんです。私は学校とAKB48の両立に悩んでいた頃でした。仕事のために学校から早退しようとした時に窓から『アキバ~』って叫ばれたりもしたし、勉強が遅れるのもイヤだった。…だからそういう話をしました」
その平嶋の次に話したのは前田だった。その瞳には涙が溢れていた。
「私は『渚のCHERRY』を歌うのが決まった時、不安ばかりで『私は歌がうまくないのに…どうして?』って泣いていました。私は感情を出すのが苦手なんですが、この曲では少しでも感情が出せるように頑張りました。まだまだ未熟者ですが、応援よろしくお願いします」
外からは見えにくい、各々が抱えた悩み。メンバーたちの声は、エンターテインメントを超え、少女たちの成長する“生”の姿そのものを見せた。
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上記は なっちゃんのコメントだけど
みぃちゃんも「48現象」で同様のコメントしている
「衣装も色が違うし、振付もほとんどあっちゃんの後で、ぶっちゃけバックダンサーみたいな感じだったし…。同期のコとそんなに差がついちゃったっていうのが、すごいショックでもうヤメたいくらいだったんですよ。」
AKBになってたった3カ月で2期生募集
やっとファンがついたと思ったら
チームKができてファンが離れるかもという不安
私達だけじゃダメだったのかという不安
A1stで努力と実力が認められて
スカヒラ7(選抜)に選ばれたと思ったら
たった1日で降ろされた現実がある不安
そこにきてバックダンサーとして
今後やってくれと言われた現実
当時みぃちゃんは13歳
それでもすべて受け入れて頑張った
劇場で「渚のCHERRY」をやる前に
みんなで掛け声を言った
「笑顔が一番、笑顔が一番…」
8月のA2公演千秋楽で
みんなが胸の内を隠さず話すことにした
それが以下(AKBメモリストより)
みぃちゃん
涙。「私はAKBに入って、いろんなことを学びました。その中でも前向きさを学びました。最初スカひらを1日で抜けて(?)、悔しくてずっと泣いて・・・、でもこれは前向きになるチャンスだと思いました。でも渚のチェリーではどうして歌のないパートなんだろうと・・・。今は渚のチェリーは踊ることが役割なんだと思うようになりました。映画やドラマは役者がいないと成立しないように歌も踊る人がいないと成立しないということを学びました・・・」大拍手。みぃちゃんには珍しく、言葉に詰まること幾度、最後まで涙、涙でした。
あっちゃん
「私は渚のチェリーを歌うのが決まった時、はっきり言って不安ばかりで、歌うまくないのに、どうして」涙交じりだったのですが、ここだけは客w「メンバーが励ましてくれて、何より嬉しかったのがお客さんがコール(?)手拍子をしてくれて、心の支えになりました。誕生日の時も言いましたが、私は感情を出すのが苦手で、ぶっきらぼうに見えるかもしれませんが、渚のチェリーでは少しずつ感情が出せるようにがんばりました。まだまだ未熟ものですが・・・」ずっと泣きながら話してました。
本当に親友同士の
涙涙の「渚のCHERRY」なんです