初めまして。Star.です。
何のことか分からないタイトルになりましたが。笑
私は昔から「言語」が好き。
多分、原点は小学校6年生の時に行ったアメリカでのホームステイ。
当時自分に理解できたのは"Hello""Thank you"と言った、本当に簡単な挨拶程度だったのだが、
私に理解できない言葉で、目の前にいたホームステイ先のファミリーは意思疎通がはかれていたことに感動を覚えた。
その時からかな、「英語で生きていくんだ」って決めたのは。
まさか小学生の時の経験が、自分のこれからの人生の軸になるなんて思ってなかったけれど。
中学に入ってからも英語自体は得意分野で、先生にいい意味で目をつけられていた。
ひっかけ問題を作る先生だったので、「こいつ、100点取るかな。ミスしちゃうかな?」って楽しまれていたと思う。笑
高校では一回挫折を経験した。
英語が得意分野だと思って入学したのに、私よりもっと頭が良くて英語ができる友達に出会ったから。
得意だったから好きだった英語。だけど、友達に負けたからといって嫌いになる自分ではなかったらしい。
大学は「外国語学部」一択だった。
当時の自分に1つ言うとしたら、大学は海外大学を選択しろ、ということ。ここだけが唯一の後悔。
自分の地元近くで大学を探して、家から通える大学を選んだ。
だけど、もっと視野が広かったら絶対海外大学に行っていた。行きたかった。
でも、良かったことが1つだけある。
大学で交換留学した際「結石」になった。初めてアメリカという異国で入院と手術を経験した。
当時自分は英語を使った仕事に就きたいと決めたまま夢を彷徨っていたけれど、この時助けてくれた通訳者に衝撃を受けて「通訳者になろう」と決めた。
自分の夢が決まった瞬間だった。
帰国してからの就職活動は「通訳会社」一択。
みんなが大手を探す中、私はニッチな業界を探した。そして3年で通訳者として独立するんだって思ってた。
でも入ってからの会社状況は本当に大変だった。80時間ほどの残業を強いられ、心が疲弊した。
これは無理だって思って、通訳業界は好きだったけど退職することを選んだ。
そして、転職。
でも通訳・翻訳者の道は諦められなくて、当時コロナが流行っていた間に見つけた映像翻訳学校に通うことに。
多分あれはテレワークでの仕事中だったんだけど、適当にネットサーチしてた時に「映像翻訳」って見つけて直感的にこれだって思った。
リモートワーク期間中に卒業。だけどそんなに甘くない。全然テストに受からなくて、若干の挫折。
そうこうしているうちに、2度目の転職。
会社自体は好きだったんだけど、給与などが納得いかなくて、友人に紹介してもらった会社を受けた。
そして今も英語関係の仕事を続けている。プライバシー的に職種は言わないでおくけれど、だけど、通訳・翻訳の道もいまだに諦めきれていない。
本屋に行ったら、通訳翻訳のコーナーで立ち止まる自分がいるし、でもそれだけじゃなくて英語コーナーは絶対寄ってしまう。惹き寄せられるように。
そんなこんなで紆余曲折ありながらここまできた自分だけど、もう私から「言語」をとったら何もなくなるんじゃないかってくらい、「言語」「言葉」「英語」は人生の一部であり続けている。
だから、私は「言葉のプロ」として生きていくと決めた。ブレていたとき、諦めそうになったことなんて何度もあるけど、だけどここで決意させてほしい。
「言葉のプロ」として生きる。
自分が好きなことで生きていく。
そして、そうやって好きなことで生きている自分を見て、自分もこうなりたいと思ってくれる人が増えたら嬉しい。
また、「言語」を習得したいと思っているけれど悩んでいる人の助けになりたい。
少なくとも、自分が関わった人の人生を前進させたい。頑張る人の背中を押したい。
そうやって、英語をはじめとする言葉を軸にして、世の中の役に立ちたい。
それが私が英語をやる理由であり、今の仕事をする理由であり、人生の使命だと思う。