「人の目」を気にしているとき。


人の目を気にして

・動けないとき

・相手に合わせすぎるとき

・自分を責めるとき。



こういう時に、

「人の目って言っても…

みんな結構気にしてないですよ

と言われることがあるのだが



「そんなん言うても

100%じゃないやん」

 


と思っておりました。ハイ。




・100%の人が気にしてないわけじゃない!

・少数でも気にした人に

コテンパンにやられるかもしれない!!!

・周りは気にしてても気にしてないふり

をしてるだけかもしれない!




100%じゃないと安心できない!

こわい、コワイ、怖い〜と思っていました。




今、思うと、そんな私の方が怖い😱

ホラー映画ですわ。






さて。

「100%の根拠」ってなんなんでしょうね?

どんな状態が

"100%気にされてない状態"

なのでしょうか?




一人ひとりに聞いて回るのでしょうか?

「気にしてないよ」と言われて

納得するのでしょうか?

安心できるのでしょうか?




きっと、どれも納得できなくて

安心できないと思うのです。



それは、自分のことを自分が一番に

「人の目」を基準に

いつも厳しく監視していて



ちょっとでも人の機嫌を損ねようものなら

これでもか!とコテンパンにして…



自分で「安心」できない状態を

作り出していたわけで。



「安心」の基準すら、

相手に求めてしまっていたから、でした。




相手に100%合わせることが

私の中での「安心」だと思い込んでいて



それなのに

色んな人がいて

100%の人に合わせられない(当たり前)



いつまでたっても

どれだけ頑張っても

人の目に合う生き方ができない

「安心」もできない



それに気づかないまま

「なんかしんどい…」と思っていました。



いやぁ、刷り込まれた思い込みって

めっちゃ怖いですねぇ。



相手に100%合わせたら「安心」だ

というのは大きくなるどこかの過程で

うっかり身につけてしまったことで



それを環境が変わった今に

採用させ続けようとするから

生きづらくなる…








もう、人の目を

過剰に気にしなくても

自分自身を安心させてあげられるはず

なのです。



人のことを気にして口を出してくる人から

身を守ることもできるはずなのです。



自分自身を今すぐ

安心させてあげられることはなんですか?



いざという時に、自分の身を守る方法を

片っ端から探すことは不可能ですか?


   




人の目を気にすることを辞めることは

怖い、こわいですね。



人の目を気にすることで

守られていたこともあるから。





でも、その生き方を

これからもしたいかどうか。



何度も自分に聞いてあげて下さい。





どなたかに届きますように。




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