久しぶりに


一人暮らしを始めている長男が


帰ってきた。





大学の食堂で


ご飯が食べられるシステムを利用したり


しているけれど


意外と野菜を食べる機会がないらしく


「野菜が食べたい〜」とのことで


準備をしていた。





もう、ね。


「野菜が食べたい」とか


そんなん聞いたらさ。


お母さんは無意識に頑張っちゃう。


ちょっとでも野菜が摂れるように。


アレもこれもと。






その後「ポテサラ作ったらいる?」


と聞いた時に





長男の、


「え、あったら嬉しいけどどっちでもいいで。


作るん面倒くさいやろから


なくてもいい



という言葉に




あの子、

遠慮してるんちゃうやろか?

気を遣ってるんやわ!!


なんとしてでも

作ってあげなければーーー!

「嬉しい」ならなおさら叶えてあげなければーーー!


って。暴走しちゃったよね。





で。実は、ほんとに


どっちでもよかった


っていうオチ。





どっちでも良かったから残してたわ。







気を遣った部分はゼロではないかも


しれないけれど



そういや、あの子は


食べたいものはちゃんと言えるんだった。

だから遠慮ではなかったんだなー





そして


食べたいものも遠慮して


どっちでもいいフリをしていたのは私だった。




「どっちでもいい」という言葉を


をつきながら使っていたのは私だった。





そして


ほんとのほんとに


「どっちでもいい」


んだったら、



私は作ってなかった…



ほんとは疲れてた…

気持ちを拾えなくてごめんね、、、





柿の赤ちゃん♡






人の言葉を、その人が思うように


100%受け取ることは


難しいけれど





自分の思い込みのせいで


相手の言葉を深読みしてしまったり


逆に相手に気を遣わせることも。


そして自分もほんのり、疲れるっていう。



それも相手を思う、愛情なんだけれども。


自分を疲れさせて出す愛情は


純度が下がる気がする。






「なくてもいい」と言ってくれた


我が子の「優しさ」も


自分が作りたくないなら


「ありがとう」


と受け取ればよかったなぁ。





と思った次第です。




おかずが一品減ったくらいで


お母さんの愛情は減らない。



たまに見るお母さんには


ご機嫌さんでいてほしいよね目がハート








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