そしてこの時間は誰もが部活を行っているか、帰路についていることだろう。
なのにも関わらず。
2年5組の教室では有実子の叫び声がこだましていた。
「日陰っ!ねえったらっ起きろっこのおたんこなすっ日陰ーっ!!」
「ん~」
かれこれこのやり取りを一体何時間やっているのだろうかと有実子は感じていた。
そして、これでこの寝腐れ日陰が起きなければ、もう置いて帰ろうと決意し、有実子は渾身の力を込めて日陰の背中を叩いた。
「日陰ーっ!!!!!」
「いっでえっ」
有実子の約1時間30分の努力が報われたのか、ようやく日陰が痛みと共に目覚めた。
「んだよ~有実子の馬鹿力~暴力ゴリラ~」
言ってからしまったと思った日陰は恐る恐る有実子を見る。
(やっべー)
日陰はまるで悪戯がバレた子供のようにばつの悪そうな顔をした。
「何か言ったかな~?ひ・か・げ・く・ん。」
「イイエ何モ言ッテマセンスミマセン」
目線をそらしながら言うと有実子は「くそ日陰。」と罵倒を日陰に浴びせた。
だが、そのあとに有実子は溜め息をはいた。
「どした?」
「どーしたもこーしたも…あんた、後で千にノートとらしてもらいなさいよー」
「え?なん…あーあ」
「なんで」という前に日陰は気がついた。
自分が寝ていた机上にくしゃくしゃとなったノートがくたびれたように置いてあった。
見ると、「Yes,because...」で止まっていた。
挙げ句に日付は先週の授業から途切れている。
ものの見事に英語の授業は睡眠時間と化していたわけである。
「やべ~やっちゃった…」
嫌いな授業を睡眠へとあてたことに今更、やってしまったと日陰は思う限りだった。
だが、そんな不憫な目にあった英語の授業への日陰の懺悔は一瞬にして終わりを迎えた。
「部活はっ!?」
それを聞いた有実子は「アンタ、反省してないわね~」と溜め息まじりに言いつつ日陰に教えた。
「それは、千の担当でしょ。聞くなら千に聞いて。」
「千だったら、きっと何かしてくれてるよ。というか。千は部活どうしたんだ?」
そう言いつつ日陰は自分の隣にいながらも今の今まで一回も言葉を発していない千を見た。
「それがねー。それを聞こうと、さっきから頑張ってんだけど…千、今心ここにあらず状態なんだよねー…」
と言うと有実子もやはり千を見て「ずっとこんな感じなの。」と付け足した。
「そりゃ大変だ…って千ってめっちゃ睫毛長くね?」
日陰は放心状態の千を凝視したが実際に目がいったのは、男にしてはやけに長い睫毛だった。
元々、千は眼鏡をかけているので、普段は拝見できないが、今は眼鏡をとっていて目を瞑っているため、睫毛の長さが際立って長く見える。
そう日陰が言うと、有実子も千を凝視した。
「うはあっ…あたしより長い…」
男に負けたのが悔しいのかなんなのか、有実子はそれ以降黙ってしまった。
前言撤回。
「何食べたらこうなるのよ…」
とブツブツ呟いていた。
それを「不気味っ」と思った日陰はもう一度千の方を見た。
その時だ。
THE☆魔王覚醒。
「…何見てんだ、貴様は。」
「うわあっ!!生き返ったっお帰りっ!」
とりあえず起き抜けの魔王に、つい先程までは軽く死んでいたんだと言わんばかりに日陰は言う。
起き抜けの魔王は只でさえ通常状態でも機嫌が悪いにも関わらず、更に3倍くらい悪化する。
今ここで日陰が正直に「睫毛を眺めてました」等言ってみようものなら、魔王の手から天誅が下されることだろう。
それほどまでにご嫌斜めとなるのである。
「……ただいま。」
そんな日陰の心中など意にも介さず、魔王ー千は、「ふあーあ」とあくびをして日陰に応答した。
「…つーか、お前こそお帰り。」
「…ただいまっス」
どうやら今回の魔王はいつもより少しはまともなようで、日陰は少し睨まれるだけで済んだのだった。
その機会に日陰は気になっていた部活のことを聞いた。
「千、部活はどうした?」
それに千は飄々と答える。「なくなった。」
「え?なくなった?今日活動日なのに?」
「…今日の活動場所。」
そういって千は指で下をさした。
「それって…ここってこと…?」
「…ご明察」
そのまま放っておくとあくびをせんばかりの千に日陰は聞く。
「え、でもお前んトコの部活活動場、昨日は理科室だったじゃん?先週は…屋上だったし…」
その日陰の質問に千はよく覚えてんな。と感心したような口調で言った。
「…人研の活動場所は日替りで変わるんだよ」
「なんのために?」
「マンネリ化防止のために」
聞いた俺って…と日陰は感じたが、流石は人の常識の斜め上を行く人間心理研究部だけあって一般人の考えていることなどコイツらにはきっと理解し難いものなのであると無理矢理納得した。
その間に千はシャツに引っかけていた眼鏡を、ゆらゆらと怪しい手つきでかけていく。
まだ魔王は完全に覚醒はしてないのだ、と日陰は確信した。
「…ノート」
「…誠ニ申シ訳ゴザイマセン」
「いいよ、勝手に鞄から取り出して。」
そう言って千は自身の黒い鞄を指差した。
それに従い、日陰はその鞄を取りに行って、いつもはついてるはずのないキーホルダーを見つけた。
「あれ?千、こんなキーホルダーつけてたっけ?」
「っ」
そう日陰が問いかけると素早く千はチェーンを外してキーホルダーを取ってしまった。
そんなに見られると困るのだろうか、すぐにそれをポケットにしまった千は日陰に般若並みの剣幕で「…見たか?」と聞いた。
日陰は首がもげるのでは、と心配されるレベルで左右に振った。
「見てないですっ」
それでも疑惑の視線を向けてくる千に日陰はどうする術もなく、その視線を浴び続けることとなってしまった。
日陰は肩身の狭い思いを堪えること約1分、この場に似つかわしくない軽快な音が流れ出した。
「キーン…コーン…」
普段は授業の始まりを知らせ、学生を地獄へ導くチャイムが、今回だけは魔王から逃げるための救いのチャイムに聞こえた日陰だった。
