食生活が変わればカラダが変わる。カラダが変わればココロも変わる。すべては物質なのだから。

 

人間も皆が思ってる以上に自然の一部なのだ。自然に支配されていると言ってもe。

feat.日本人の「欧米化」。

→食性・カラダ・ココロの欧米化に対して文化・道徳などの社会風土(社会制度)が追いついていない=まさしく"食い違い"型の機能不全状態。カラダとアタマの先っちょが水&油状態。こうゆうのを「分裂」状態ゆうのとちゃいますか。

 

親と子が「別国人」状態←そりゃあ親子間・世代間で相互理解不能にも陥るゎ。食って人間の中身を作ってる物質が違う、"飲んでる水が違う"んだから。

 

特に精神世界=心の世界における「欧米化」が必要不可避なのでゎ?←100年近く前のユーラプ(ヨーロッパ)社会向けの心理学であるフロイト(及びユング)が、自然科学者たちからは「さすがにもう時代遅れ」(←特にフロイト)と言われながらも、現代日本社会においては"今だに盛況で大人気"なことと、「日本人の心理(心性、メンタリティ、心のあり方)の変化」ってのは無関係でゎなかlowて。

 

→100年前のユーラプを席巻していたプロブレーメ(”エロス”=性衝動&”タナトス”=破壊衝動の上手な制御、個性化・自己実現、精神偏重・身体性=全体性=「精神も身体も!」の欠如の問題など=フロイト、ユングら人間の心理における"指導者"たちの活躍により、少なくともユーラプにおいては既にそこらの問題はケッコーe感じで克服されてるのでゎ=「抑圧」の軽減化及び「欲動」充足行動に対する社会的寛容度・許容度のupら辺。現在ユーラプはとても”エレガンテ”で「快適」な心理状況にあるよに思われる)が、その100年後の現代日本社会で"猛威を振るっている"とuことなのでゎ。

 

【今、敢えてヨーロッパから学べ。】

feat.某アメ◯カ合衆国もチョットヨロスク。←てかドナルド・ト◯ンプ選んでるよな時点でかなりダメで、余りってか全然参考にならない国家のよな気がすんだが。。

 

親・大人・年寄たちが精神面において全く役に立たない理由→子ども・若者らが、欲している"答え"を得られず悩み・苦しみ・迷いに迷っている=自分のカラダ(のエネルギー)を持て余してる理由、日本人が明治以降、時を経るにつれて何となく前よか好戦的(攻撃的=タナトス亢進傾向)になてるよに見える理由、が少し見えてきたよな気がするが如何に。

 

◎某S市のSクン:
"彼"にとって本当に「役に立た」なかったのゎ親やまわりの大人たちだったのでゎなかlowか。一人でも「よいオトナ="ちょいワル"くらいのよいオトナ」と出会っていれば、彼の人生も変わっていただlowに。彼は結局のところ"実行犯"であり、"真犯人"は「日本(社会)」なのでゎなかlowか。saw思わずにはいられない。

 

 

Ich bin "ein Steppenwolf",

und "die Bestie des Schwarzkopfs".

 

訳:ボクは”荒野の一匹狼(一匹シュテッペンヴォルフ)”で、

”黒髪の野獣”なんダョ♪

ネット上で見たんすけど、老人のセックスの問題に対し、
「とりあえず想像したくない」というコメあり。

日本人らしい答え。まず考えない、現実は見ない、弱者の性については
特に見て見ぬ振り、今現在の自分の感覚のみでマルバツを決める。

今現在投稿者自身が貧しいセックス(「射◯こそすべて」みたいな)を
しているであろうことについては想像するに難くない。
自身が年寄りになた時、セックスの問題をどうするつもりなのか。
「とりあえず想像したくない」で切り抜けれると思っているのだろうか。
石原慎太郎的な思考回路だな=自分もいずれそうなるという所に想像力が及ばない系。

慎太郎は今まで強者という立場から社会的弱者=女性・高齢者・身障者などを
ディスりまくって踏みつけて自らの自尊心を確保してきた。しかし80過ぎて
いよいよ老衰・病が止まらず、踏みつけて散々苦しめてきたその弱者という
サイドの人間に他ならぬ自分がなっている。

その事実が受け入れられず日々葛藤しているらしい。実に愉快な話だ。
悩め。もがけ。

尚、慎太郎は豊洲の件についてもコイケ百合ちゃん(超女性!)との会合から
逃げることを決意したらしい。

おい、"男らしい"男の中の男、逃げるのかよ。
今までの威勢はどうした、あ?

勝てない、戦えない、ボクこわい、百合ちゃんこわい、てか。
なんなら”男らしく”自◯しろよとか思っちゃいますけどね。笑

相模原事件の下地を作ったのも正に慎太郎本人とその世代の男(昭和のオヤジ)たち
及びそれに隷属してきたメス女たち。
今現在70〜80代やってるやつらの罪は重い。ぶっちゃけ極刑もんでしょ。

→てか、慎太郎批判を展開してまいましたが、あたしがいーたいことは、
性の世界はキミが思ってるよりもずっと豊潤で広いんだよ、ということ。


(^-^)/シーユー
おどろきましたねー。
奈良の都にはペルシャ人の役人がいたそうな。

"シルクロードの終着点"正倉院にも大陸由来の文物が沢山あり、
当時の日本は国際色豊かだった様子。

良くも悪くも菅原道真が遣唐使を廃止して以来、日本の"ガラパゴス"的な
"島国性"ができてきたんじゃなかろうか。まぁ良くも悪くも、ね。

あんまし言うとあいつ(=菅原)怨霊系の雷神=天神だから、にわかに空が曇ってきて
カミナリ落ちてきて撃たれて全身やけどで殺されかねないし。。笑

→「日本」の可能性=太古の昔から"黒山の人だかり"だったわけではなく、
中央省庁の中に外国人(しかもペルシャ人!カッコエェ♪)がいたという事実ッ。
これ、大きいよね。

希望すら感じる話やわ。


(^-^)/シーユー
タブーに触れちゃった。日本人みんなが必死こいてフタを閉めてた
パンドラの箱をヒョイと開けちゃった。

一億総大混乱。
ウソがバレた。後進性がバレて暴露されちゃった。
十八番(オハコ)の見て見ぬ振り&責任転嫁ができなくなっちゃった。ヤバい。

それでもまだみんな逃げようとモガいてる。

→トリックスター (英: trickster) :
神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる者のこと。 善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つのが特徴。


(^-^)/シーユー
うかれるからやめろっつのに。。

アメリカ人ばっかとか白人ばっかとかいうのもムカつくが、
日本人連続ってのもなんか、世界中に色んな人がいるだろうにって
あたしなんかは思うんだけど。。

「日本人すごい」→「俺日本人」→「故に俺すごい」てなるんだから。。
今の日本人にニセの自己肯定感持たせちゃダメ。

もうサトくんがパンドラの箱開けちゃって、その後も"男"たち数名が追随し、
日本人の「後進性」がバレて暴露(当の日本人に対して)されちゃったんだからさ、
もう涼しくなてきたし落ち着いて日本人はじっくり自分と対面して
真正面からあれこれ考えて、いよいよ成熟して名前だけじゃない
真の先進性を追わなあかんのに。。

うかれてまたぎゅうぎゅうの臭いモノ入れに自身の問題・課題を押し込んで
(破裂寸前てか既に割れたか?)無理やりフタをして「はいこれで"すべて" ok ♪」と
安心してムネヲナデオロシテ喜ぶ。

ダメだよ。
自身の問題・課題に取り組むことが先だって。。

だからあたしは素直に喜べない。


(ーー)/シーユー
前に書いた責任回避の理屈と同じです。

要は植松と相通じる部分、心の中の暗い影、なすりつけとしての差別意識、
経済的生産性を基準とした人間に対する評価、などなど

その辺の”重たいもの”を自分で背負えるほどに自我が強くないのです。

だから、事件を社会問題化し自分らの責任として背負おうとする
ある意味で強い人々がその旨を世に発表すると、冷静さを装いながら
「いや、あれは社会の問題ではなく、ごく特別なモンスターが起こした
ごく特別な事件。だからその都度対処するしかないの。社会は関係ない。」と
すかさずのたまうが、内心は冷や汗びっしょりで今にも倒れかねない状態なのである。

瀕死の状態で「あたし違う、あたしじゃない、あたしに言わないで、
あたしに聞くのやめて、あたし関係ないない、ってゆーかあんたのせいでしょ?」

この手の常套句を日々繰り返す”普通”の人が、あなたのまわりにもいますよね。

あの事件を社会問題・社会現象ととらえることに益はあっても害はないと
以前書きました。にもかかわらず必死こいて反論して社会問題化を阻害しようとする
やからが大勢いる。やつらにとってそれが不利なことだからである。

社会問題となれば自分も色々背負わなければならなくなる。しかしそれはできない。
自我が弱いから。下手すれば自分が潰れてしまう。不利益なのである。
人間の行為の裏には必ず自分への何らかの利益がある。一見利他的行為であっても
何かしら利益が自分に回ってくるようになっているのである。

社会問題の社会問題化を阻害する行為の裏にその人間の利益がある。
この場合の利益は本人にとって他人にとって、社会にとって有害な利益である。
だから闘わなければならないのである。

社会の敵とはあたしら個人にとっての敵である。

知略を尽くし、行動を尽くして闘わねばならないのである。


(ー公ー)/シーユー
人智を超えた存在、神、宗教。すべて人間の暴走を止めるべく作られた
ブレーキ装置、文化装置だ。

人心が乱れれば、神の怒りの鉄槌が下される。それを人間は戒めとして
受け容れなければならない。その上で、その大厄災に対して人間が人智をもって、
人智を尽くして立ち向かい、自分たちの社会を建て直す。

それしか人間の生きる道はないのである。

かつては日本にも「お天道様が見ている」、
「(悪いことをやっていればいつか)天罰がくだる」などの文化装置があった。
『ゴジラ』というシリーズはその思想の上に成り立っている作品のように思える。

そして庵野秀明の『シン・ゴジラ』はその思想を的確に拾って
継承している作品のように思えた。

危機から学び危機を乗り越えろ日本人。

米軍の爆弾を背中に受け出血して倒れたゴジラ。その後逆鱗に触れたかのように
にわかに発光して炎を吐き、東京の街を火の海に変えた。地獄絵図である。

あまりの恐怖にあたしは軽くパニックを起こしそうになった。
正に神の怒りであった。


(ーー)/シーユー
・過剰挨拶おばさん
→分厚いペルソナ(社会向けの仮面)かぶって自分を守り、
他者とぶつからないことを第一として生きている類い。

・過剰"挨拶しなさすぎ"おばさん
→自分の人格を消し相手(他者)の人格も頭の中で押し殺して無視し、
"接しない"ことによって自分を守る類い。

→どちらも"自分(自我)"が弱く、弱すぎるが故に他者と
「人格対人格」という形で接することができない典型的な現代日本人。

他者と人格対人格で接して時にはぶつかり合わなければ成長は無い。
だから現代日本人は総じて「幼稚」。

→おじさん?おじさんなんてもう"論外"なんで、
考えたり語ったりする意欲すらわいてきません。


(^-^)/シーユー
それ以上思考を進めると自分に不利な状況が生まれるため
(そういう地点に達してしまうということに意識でor無意識で気づいたため)、
都合のいいところで思考を中止して「◯◯なんて△△なもんだ」と
コンビニエンスな結論を持ち出してきて話を済ませてしまうこと。
回避である。

→「仕事が忙しいから」という理由でフラれた男が「仕事が忙しくなると
恋愛なんてしてられないもんだ」と結論付けて、自分が痛むこと(人格的成長の
チャンス!)を回避するコンビニエンスな行為・心理的システム。

育てた豚を殺して焼いて食べる。
「殺して焼いて」という所に思考停止システムを適用して消すと、
おいしいポークステーキにありつける。


(^-^)/シーユー
「あたしは仕事すること自体がイヤなんじゃない。
この国の中で何か仕事しようとする際にもれなく付いてくる、
“日本人の集団に所属せねばならないこと”、それがイヤなんだ。」と。

とてもよくわかるような気がします。


(^-^)/シーユー