学期が始まる前、校舎に教材を取りに行ったんよ。
そん時に、テキストがぎょうさん並んでるテーブルの向こうに
事務の若いお姉ちゃんと、いかにも偏差値エリート然とした
醜悪な赤ら顔の講師系(もしくは講師崩れで今は事務やってる)と思しき
若い(のかオヤジなのかもいまいちよくわからない)男がいたのね。

で、こっちが紙を渡してそれに基づいて職員が一冊ずつこちらにテキストを
渡すという寸法だったようなのだが、まぁ、事務のお姉さんがちょっと
とちっちゃったみたいで、なんつーか事態が微妙に滞っちゃったわけ。

そしたらすかさず隣のブオトコがね、待ってましたとばかりに言い放った。

「ほらね、ちゃんと勉強しないとこういうふうになっちゃうんだよ。」

...

一同唖然。

あたしらも当時まだ高校生ぐらいで一予備校生に過ぎなかったんで機転もきかず
何も言えなくて結局スルーするしかなかったんだけど、
今思えば!と今のあたしだったらそのブオトコを指差してすかさずこう言ったね。

「ほらね、勉強しかしてないとこういうふうになっちゃうんだョ♪」

...

スバラシキ神対応...(←字が爺さん。)

きっと会場全体から万来の拍手がッ!

そして女子事務員からは感謝と好意のないまぜになったミワクノマナザシがッ!

つーわけで、

誰かタイムマシンこさえたらすぐあたしにご一報をッ!


(^-^)/シーユー
心が弱く、インチキ自我・インチキ自尊心を保守する為に
自分で自分の問題・責任を負えない人々。

そんな重いもの背負ったらタチマチ自分が潰れて崩壊してしまうから。

回避行動としての否定と責任転嫁。

自分を棚に上げて問題を他者に背負わせ攻撃する人は、皆すべてこれ。

マウンティング行為をする人は最早”生きるか死ぬかの生存競争”をしているのである。
される方は無視(スルー)できるが、する方は既に息も絶え絶えで
正に”必死”の状態なのである。哀れというか、かわいそうというか。。

一見弱そうに見えても、自分のことを自分で背負っている人・
背負える人は実は強い。


(T-T)/シーユー
何度も似たようなこと書くけどね、大規模なヘイトクライムが起きてしまったわけで、
ヘイトスピーチ運動やそこかしこで起きてる大小様々な"ディスり(侮辱)"現象も含め、
この社会がそういうものを生み出す社会だということが暴露されてしまったわけで。
(今に始まったことじゃないんだけどね)

もう逃げられないのだよ。ショーコリもなくあーだこーだと言い訳して
逃げようとする人が後を絶たないが、もう逃げられないのだよ。
みんな目の前で見ちゃってるんだから。
目の前の現実の事実は動かせない。ウソをつくのはもう終わりだ。

希望はある。人間には意志とか意識といったものがあってだな、そういうものを
強く持つことによって、無意識的な自動性・自律性をもって作動する系統の部分
(例えば本能とか)に対して「解放する・抑える」両方向から制御・コントロールが
できるんだよ。
(これをユング心理学では「意識と無意識の相補性」という。
一方で意識がバランスを欠いて一面的になると、自然性・全体性を取り戻すべく
無意識が作用し出す。だから"相補性"というのだ。)

どんな悪状況に対しても改善に向けて闘うことができるんだ。それが人間的な、
人間らしい、人間を人間たらしめている人間の力なのだよ。

ま、闘う時はきちんと準備を整えて、休むときは休み、
万全の体制をとってヤるときゃヤる。

現実から目をそらさず強い意志・意識を持って、
この社会を構成する国民一人一人が「克己」せねば。


(ー公ー)/シーユー
なんかいよいよ時代が本格的に変わろうとしているのでわ。

今までは新旧半々ぐらいだったのが、ここにきてついに新の方が
上回ってきたみたいな。このまま新の方へ突っ走ってくみたいな。

旧は"男性性"の時代、新は"女性性"の時代。ユング的な意味でのね。
(ユング的な意味でのこれらの別について知りたい方は、是非ご自分で本読んで
勉強してみてください。)

生物学的な性別は実のところどうでもよくて、男でも女でも元々心の中は両性具有。
社会の圧力でその都度いじられてるだけで、「男性性女」もいれば「女性性男」もいる。
どちらもいていい。てか女性性の時代になればどちらの存在も許されるよになる。

今日(こんにち)巷で起こっている諸事件は、終わりをむかえる男性性の時代の
”断末魔の叫び声”なのでわ。

少なくとも、歴史的に経験豊かで知恵の蓄積もあり、賢い日本及びユーラプ
(ヨーロッパ)はパンドラ系危機を乗り越えて後、チェンジに成功するでしょう。
問題は某アメ◯カ合衆国。ヒラとかトラとか、どちらを選んでも男性性の時代が
継続しますので、行く末はね、まぁ、いわずもがなでしょ。
(ヒラでも男性性ってとこ、わかってもらえるかな?)

知的でスマートな根っからの民主主義者たる小浜さんの時代を経て、よれよれの
背広を着た”闘う民主社会主義おじいちゃん”・サンダースさんの時代になれば
ちったぁマシになったかもしれんのだけど。

”アメリカ人の心には、ヨーロッパ人には見られないような、意識と無意識の
隔絶があり、意識された最高度の文化と、無意識の野蛮さとの間の緊張がある。”
(出典めんどくさいので省略ね)

1927年の時点で(戦前ですよ奥さんッ!!)既にアメ◯カ文化の心理学的
危険性について指摘していたユング自身の言。
ほんっとユングってば先見性がすごいってかなんてか。

ま、このような”時代の転換”は、人間を超えた所にいる、明確な意識を持った"何者か"
が司っているのでわないかなんて思ったり(するあたり、やはりあたしは
"ユング派"なんだと一人思わずほくそ笑む蒸し暑い夏の日の夕べ…笑)


(^-^)/シーユー

てかヤベ、読み返してみたらものごっついオカルト的な…。まぁあの、だからさ、話半分ぐらいできーてくれればさ、あのさ、だからさ、だってさ、それでいーからさ、あのさ、ね、ね!お願い!あたしを見捨てないでーーッ!!(←?)
いつその”牙(きば)”が自分に向けられるかわかりませんからね、
マジでコワイですよ。

いつ自分が被害者となるか。
はたまたいつ自分が加害者となるか。

「あたしは加害者なんかにはなるわけないよhahaha。てかあそこにいるアイツ、
ああいうのこそアブナくね?前からちょっとヤバいと思ってたんだけどさ、
いつかヤるんじゃね?サツにチクっといた方がよくね?笑」
と言って他者に押し付けてる系のヤカラが一番アブナイ。

直接的加害者にならなくとも、この手の類いこそ正に
間接的加害者だからだ。自覚が無い分、自己チェック機能が働かず、
自他のコントロールが効かず、頭の中にブレーキが設けられていないが故に
条件が揃えば即暴発・暴走する。もう止まらない。
ナチス時代のドイツ民衆の心理がちょうどこんな感じだった。

かなりヤバい。

自分の「影」を他者に押し付けるのはよしましょうネ。
自分の影はあくまでも自分の影ですからネ。

と、また読者の数が少ないのをいいことに言いたい放題のコーナーでしッた♪


(^-^)/シーユー
子ども(実子でもよその子でも)や若い人たちにとっての
”人生のモデル”になれるか。

子ども・若い人たちに「あたしはこれこれこういうふうに生きてきたんだ」とか
「こうしたのは・こうしなかったのはこれこれこういう理由があってだ」とか、
自分のやってきたこと・やってこなかったことについて、つまり生き方・人生について
「説明」ができるか。

あたし自身にとって、”大人モデル”ってのは、少なくとも家の中には
一人もいなかった。で外に目をやってみたものの、日本人の中には
やはり残念ながらモデルにできるような人はほとんどいなかった。

しょうがないから海外に目を向けて、やっと数名イケてそうな感じのを
なんとか見つけたみたいな始末。

「100%善」は色んな意味で危険。硬すぎるし自分のモデルにするには窮屈すぎるし、
なんつーか人間ってのはそもそもそういう生き物じゃないと思うし。
某アメ◯カ合衆国の保守派は自分たちのことをこれだって言い張ってるけどね。
人類と全世界にとっての最も危険で差し迫った目前の危機としての火薬庫系一派。

(アメ◯カ合衆国にいる白人も元は移民。インディアン=ネイティブ・アメリカンの
土地に勝手に入ってきてまずは彼らを虐殺し、生き残った人々に対しても騙して
その土地を奪った。そうしてでき上がったのがアメ◯カ合衆国という国である。
「USA!USA!」と連呼してる連中は皆、その殺戮者・詐欺師たちの直系の子孫
なのである。)←ドナルドおじさんの取り巻きに刺客を送られそうな発言だ♪

一方の「100%悪」なんてのは論外だけどさ。

「悪」とか言ったってね、一時代(時間)・一社会(場所)で「悪とされている」
ってだけの話でね、時間・場所が変われば悪も悪で無くなったりする。
一昔前のヨーロッパでは同性愛は犯罪だった。オスカー・ワイルドは男色の罪で
牢屋に入れられてる。でも今は違うでしょ?ローマ法王でさえ同性愛に心を開いている。

”ちょいワル”ぐらいが一番人間としてバランスがいい。善人面(づら)してるよな
やつよかよっぽど信頼できる。悪だって人間の一部だし、大体”ちょい”ワルなんだから
そんなに悪いわけじゃない。善半分悪半分ぐらいのもん。悪の割合はもっと少ないかも。

人間が”円滑に”生きていく上でちょっとの悪は必要悪。まぁバレちゃいけない人に
バレちゃったら全力で謝罪して反省して、許してもらう努力をするんだけど。

大体、失敗して反省できる人は成長できる。失敗しても認めず反省できない人は、
幼稚で未成熟なまま年寄りになるし、周りにいる人々にも様々な悪影響が及ぶって、
経験的な知恵としてみんな知ってることでしょ。

ってなわけで、人間の悪、それが自分の中にも望んだわけじゃないけどなんか
あるんだから認めるしか無いだろみたいに半分諦めモードで受け容れてるぐらいの
「中庸(ちゅうよう=まんなかへん)」性を持ってるひと、そんぐらいの人の方が
人生のモデルにするには最適なような気がする今日この頃。

で、自分の中の悪について自分なりの説明ができるってことが肝要かと。


(^-^)/シーユー
自分の生まれつきに対して、満足する人(与えられている人)は保守派になる。
自分に利益を与えてくれる環境・体制を守ろうとするからである。
生まれつきに満足できず、与えられていないと考える人は
改革・革新派(自分に利益が回ってくるような社会に変えようとする派)
あるいはリベラル派(不遇性も含め社会にあらゆる在り方を認めさせ
自分の居場所を確保しようと考える一派)となる。

都市部にリベラル派が多いのは、そもそも出身地に不満があり
「何かより良いもの(自分への利益)」を期待してエスケープしてきた
人々の集合体が都市だからである。

要は利益を最初から持っているか後から獲得するかの別。
利益の獲り合いなので保守派と改革派は激しく対立する。

改革派を自称していた者も、改革が成り自分に利益が回ってくるような体制の
構築に成功すると、新体制の保守派に変身する。
世の常だすな。


(^-^)/シーユー

保守派には美人が多いという説がある。美形という利益を生まれながらに
与えられているからだという。てことはなぜあのブ◯イク男がせっせせっせと
改革運動に精を出しているのかが分か…あイヤ、何でもないです、間違えました、
すみません、ウソです、ウソです、マジウソです、恐縮っす。。(テレ笑)
杜甫の詩の一節。

国が戦争に負けて秩序が滅んだ。
しかし山や河は変わることなく雄大だ。

人間の世界にはいろんなことがあるけれど、
それとはおかまいなしに自然は在り続ける。

自然の癒しの効果について歌っているような感じもするが。

一国はそもそも戦争だけでは滅びない。必ずそれ以前に
内部に崩壊へと向かう社会の乱れ・人心の乱れがある。

きよつけないと。


(ーー)/シーユー
今朝、スタバで時を過ごしていたあたし。

一人の若いサラリーマンが入り口から入ってきて、
トイレに直行して用を足してから出てきて出口に直行して出ていった。

スタバはコンビニじゃないよ。

人間の基本として、もらったらお返しするもんだよね。
当たり前のようにズカズカ入ってきて自分の用が済んだら
何も言わずに去っていく。

何もカスタマイズごてごてのグランデサイズのフラペチーノを買えとは言わないよ。
でもせめてコーヒー一杯(ショートサイズ)ぐらい買って出て行くのが
人類共通の最低限の礼儀じゃね?
人間ってギブアンドテイクで成り立ってるものだよね。

こういう社会なのかな。

一人の人間の行動を”社会現象”としてとらえ、これは氷山の一角だと
拡大的にとらえて考える材料とする。
→「ワレマド理論」
NYのジュリアーニ市長が前に言ってたことなんだけど、街角の建物のガラス窓に
ヒビが入っていたと。そんでそれを放置することは街の秩序維持という点において
無視することとなり、やがては何者かの犯罪行為へとつながっていく。
だからワレマドを放置しちゃいかんのだョ、というお話。

そんでジュリアーニ市長の統治時代以降、NYの治安は以前よりもずっと良くなって、
犯罪率も低下したのだそうな。

どうでちゅか?

小さなことからコツコツと、の逆バージョンだね。
や、逆じゃねーか。(ん?)

ま、「お前小さい!いーじゃねーかそんくらい」と思うならば、その旨
コメントください。あたし、このブログもう一年くらいやってるんだけど
いまだに一度もまともなコメントもらったことなくてさ、「コメント飢え」してんの。
(↑ワザと弟をいじめたりして悪さしてママの関心を自分に向けさせようとタクラむ
幼児のような心理。。)


(^-^)/シーユー
あれは特別な気の狂った人間のしたことで自分たちには関係ないと
身綺麗さっぱりとした顔して結論付けて済ましてる連中より、
自分においても起こりうる問題だとして、自分の問題・自分の社会の問題として
背負って考えて悩み苦しむ人たちの方がよほど安全。

自分の問題を人に押し付けて、一切手を差し伸べず人を追いつめる。
そういう人間にそういうことされた人が壊れるんじゃないですか。

こんだけ心が無視される社会・こんな時代の中に生きてて
心の調子を崩さないでいる方がよほど異常じゃなかろうかと。
あるいはぴんぴんしてデカい顔してる裏側でよほど強度のガス抜き・
補償みたいなことをしてバランス取ってんじゃないかと、
そんなふに思ったり。

あとさ、自分・他人・自分の子も含め、人間の「個」ってものを完全無視して
やってきたくせに、いざ問題が起きれば「自己責任だ」と言い出して、
個人主義的な見解を持ち出してきて個人攻撃に終始する。
卑怯なすり替え主義じゃん。


(--)/シーユー