クローン病の完治の記録 -3ページ目

クローン病の完治の記録

15年間患っていた難病のクローン病が完治したので、その記録を残す。

とりあえずクローン病の時には食べられなかったカツ丼や焼肉の食べ歩き

のブログを更新中。

8/31、中国新聞の広島カープ対DeNA戦のテレビ欄を縦読みした


「25年前、何していましたか」



私は25年前の夏、1991年、東京から広島市に引っ越した。

引っ越してまもなく、広島カープが優勝した。


まだ子供だったためか、当時のことは覚えていない。

25年前の「あの日」のことは全く覚えていない

ただ新しい町に上手く溶け込めなかった。

当時はカープファンにだけは絶対になるまいと思っていた。

田舎の弱小球団のファンなんかごめんだと思っていた。

1つ覚えていることがある。


自分以外、クラスの全員がカープファンだったということだ。


全員、巨人にだけは負けたくないという思いで一致していた。

広島県中の大人も子供も含めて。



あれから20年、カープは長く低迷し、いわゆる「暗黒時代」に突入した。

今でも覚えているのは、広島市民球場でのファンの罵声。

野球に関する野次ではなかった。

広島弁で「死ねやー」と選手に叫んでいた


私は、学校の行き帰り市民球場を通った。

球場の雰囲気が好きで、通算1000回以上は自転車で見に行った。

試合のある日もない日も、ただひたすら”球場を見た”。


自宅の自分の部屋の窓から市民球場の方を見ると、試合のある日は空が明るかった。
選手がホームランを打った時には、部屋の窓を開けると大歓声が遠くに聞こえた。

隣県に住む方の祖父が時々広島に遊びに来るときには、市民球場のバックネット裏に必ず家族みんなで観戦に行った。決まって広島対中日戦だった。

祖父は中日ファンだった。もちろん読売は嫌っていた。

そして、広島育ちのもう一方の祖父は巨人ファンだった。

広島に戦前から住んでおきながら巨人ファンだなんて信じられないが、

もしかしたらカープ球団が設立される前から巨人ファンだったのかもしれない。


中学生の頃は、試合終了間際に、無料で球場の中に入ることができた。

試合終了後に大勢のお客さんが帰る中、流れに逆行して球場の中に入ることもあった。

野球場にしかない独特の雰囲気を楽しんでいた。


ただ、広島カープはどうしようもなく弱かった。

お客さんも今とは比べようもなく少なかった。



だが、数年前、カープOBの野村謙二郎が監督になり

「カープは優勝する」

と宣言した。



その日以来、潮目は完全に変わった。




もう、いい加減良いだろう。

「あれ」をしたい、とか


「いつか幸せになりたい」、とか


「今年こそ夢をかなえてみせる」、とか



そういった言葉はもう必要がない。




2016年、カープは25年ぶりに”優勝”する


あの大嫌いだったカープが優勝することの喜びが抑えられない。

なぜならカープはわれら広島の誇りだから...




「広島が固唾をのむ!広

島県民が黒田200勝

の瞬間を待っている!

誇らしい偉業達成へ残

り1勝と迫る黒田博樹

!日米で20年間いつも

全身全霊で闘ってくれ

てありがとう!金沢に

は特別に広島県民向け

黒田カメラを設置!黒

田の一挙手一投足を見

のがすな!盟友黒田の

ために新井が試合を決

める一打!?二人の復帰

に感謝の声援送りたい。



「広島復興のシンボル広

島カープ地元で8度目

のピースナイター開催

勇ましき姿見せてくれ

気合い全開の新井!菊丸

と田中の同級生トリオ

希代の鉄人が逆転Vを

望む緊急提言。注目の

カープ先発は2年ぶり

1軍登板の中村恭平!

プロ2勝目へ勝負の時」




中国新聞テレビ欄より。