昨夜、ある中学生が今度の期末テストで〇〇番以内に入ったらお母さんから何でも買って貰えるので頑張ると言う。
本当に何でも買ってくれるのと聞くとハイと言う。じゃあ、アフリカゾウでも買って貰ってよと言うと講義中はいつも寡黙なその中学生も笑っていた。
この〇〇番と言うのが地元のT高校の合格ライン。T高校出身のお父さんには散々バカにされているので目標を達成出来たらお父さんにスマホをお母さんにはスマホケースを買って貰うそうだ。
これは何としてもクリアしてお父さんにリベンジして頂きたいものだ。
と言う訳で期末テスト直前は試験対策演習講義決定。
そして僕としては〇番を達成して貰って大分市にある公立高校に進学して欲しいが、この〇番をクリアして地元のT高校に行って貰おう。道は険しいが不可能でもないし、心がけ一つで達成できると考えている。
さて中学生が帰宅した後に来た高校生、こちらはムチ。往年の駿台、秋山仁師バリの激励。たった50分の講義時間のうち長いときには45分無駄話に費やし、残り5分で前もって配付済みの解答プリントを読んで終り、挙句に俺今からストックホルム、じゃあ皆んな頑張るんだよと言残し去って行く。あの講義スタイルは予備校と言う同じ教科を何人もの講師陣で教えているので成立している訳で、田舎の進学塾を標榜する私塾では通用しない。それでも約15分ほど、国立大学受験に対する心構え、高校受験の反省などをまくし立てた。
何としても第一志望の国立大学に進んで頂きたい。
今朝、散歩しながら考えた。
ご褒美で新しいスマホを手に入れるのは良いことだが、適正に使わないと多くの時間を奪われてしまわないだろうかと心配している。
学習用アプリの開発にも参画しているであろう某東北大教授は自分の子供には使用時間を制限していると聞くし、スティーブジョプスは子供たちにiフォンを使わせなかったと聞いたこともあるし、FBのマークザッカーバークは仕事ではスマホを使っているようだが普段はそのようなデバイスとは距離を置き自宅では餃子を手作りしている写真を見たことがある。
ケイタイすら無かった時代、他界した弟と連絡をとるのは国際電話と国際郵便しか手段が無く、それでも帰国した日にきちんと新宿のホテルで待ち合わせすることは出来たし、真面目なドイツ人の友人は同じホテルで1時間以上遅れた僕を待っていてくれた。
今は待ち合わせする時はかなり余裕を持って行動している。
相変わらず散歩の時は全てのデバイスは持たない。
見た風景を記述するのが作家と言う人たちだろうが、一般人はただ風景を眺め、何かを考え、あるいは無心で、ただ歩く。
朝の貴重な時間である。
来年から寺子屋の小僧さんも中学生だがスマホは持たせないつもりだ。どうせ、勉強で使うアプリがあるので必要だと言うだろうが多くの時間をゲームに費やすことはミエミエだ。
