小松正之氏は水産庁捕鯨交渉を担当していた官僚だった。しかし、ニューズウィークを読むと何時のまにか交渉から外されていたらしい。圧力が凄かったのだろう。


ニューズウイーク転載

世界と戦った捕鯨の守護神

ノルウェーとアイスランドを除いて、日本は捕鯨問題で世界中から非難を浴びている。水産庁で捕鯨交渉を担当していた、小松正之はその威勢のいい発言で日本の官僚には珍しく外国メディアに一目置かれる存在となった。


「日本では無難なコメントがよしとされるが、小松は鋭い寸言を飛ばす。日本人は物事を丸くおさめようとするが、小松は対決を辞さない。日本では出るクイは打たれるが、小松は打たれても、引っ込まないクイだ」ー下関での国際捕鯨委員会(IWC)の会合が開催された02年に、ニューヨークタイムズが彼をこう評した。


1953年に岩手県の海沿いの町にうまれた小松は、エール大学で経営学修士号を取得。英語力を生かし、捕鯨問題で日本の立場を主張してきた。国連食料農業機関(FAO)の理事としてローマに駐在したため、その英語にはかすかにイタリアなまりがある。

欧米の「文化的帝国的主義」と「二重基準」を批判する小松に、多くに日本人は彼に喝采を送った。


捕鯨交渉の第一線を去ることになったのは、、米先住民マカの伝統捕鯨が認められたことにIWCで反対したのがきっかけだ。日本の捕鯨認められないのに、、マカの捕鯨が認められるのはおかしいというのが小松の言い分のようだった。


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