福沢諭吉について

前回福沢について書き始めるつもりだったのだが、別の方向に行ってしまったので、今回は書かなくてはならない(そうしないと忘れるから)、そもそも、うち(法政)の大先生が馬鹿だから、いけないんだw。

 

ちなみに今日も学校には行ってません(4月14日)、誰があんなとこ、好き好んで、いくもんか。まぁ、学校の愚痴言ったってしゃないから言いません(多分)。

 

じゃ、福沢について書いていきます。俺がこの人を、認識しだしたのは、今現在の日本の保守派といわれる石原慎太郎、西部すすむ及び、左翼の人たちにとっても、やたらと福沢の思想を文壇で論議し、対立が生まれている現状を見たからです。

 

左の人たちにとって福沢は、脱亜論を書き、アジア侵略を正当化した悪の権化のように扱われ、右の人たちにとっては、日本を欧米列強から守り、自主独立を打ち出した日本稀有の思想家のように扱われてます。

 

つまり論壇村では福沢の評価についてはっきりと定まらないところがあるのです。そんな現状を打破する本を読みました、それが福沢諭吉の真実(文春新書 平山洋)です。もともと副島氏のサイトに載っていたものです。そこのレビューが読みにくいので、自分で書評を書いてみようと思って書き始めたのが動機です。

 

文章はわかりやすく書かないと、ぜんぜん読まれませんから、意味がないと思うのに、なんで、みんな、あんなに面白くもない、わかりにくい文章を書いて世に出しているんだろう、まぁ、わからんわぁ。

 

どうせ、小難しいこと書いたって、そこから得るものなどなにもない。本を読むときに、感動と知的興奮、が味わえない本など買っても意味がないから、買わないほうがましですよ。この文章を読んでくれる人に忠告しておきます。

 

さて、また、話が脱線してしまう、本当にだめだなぁ、俺はw、書きたいことが、次々、生まれて、それを書いてしまうから、だめなんかなぁ。まぁ、直せんものはしょうがないw。読み手は諦めてください。

 

よし、本論だ。簡単に結論を、はじめに書きます、福沢は決して、アジアを侵略するような煽動的な言論はしていない、というのがこの本の大大テーマである。じゃ、その福沢がいかにして負のイメージを負ってしまったのか?

実はその福沢の負のイメージを作った言論をやったのが石川幹明である。石川は福沢の弟子であり、時事新報主筆の地位まで上がり、晩年に福沢諭吉伝、福沢諭吉全集を編纂した人物である。

 

この石川の書物編纂のため、誤った福沢像ができてしまった、というのが真実のようだ。どうも、石川という人物は、福沢に嫌われていたらしく、新聞経営の腕が卓越していたために、時事新報に残っていられた。晩年に福沢に近い人たちがいなくなっていたために、石川に福沢の文章編纂の話が回ってきたらしい。

 

さて、福沢と石川ではどれだけ思想が違うのか、検証してみよう。福沢諭吉の真実P151から引用する。

 

天皇賛美者としての石川

 福沢に天皇に対する崇拝心というものがまったくなかったわけではない。日本国民として君主である天皇を尊重する精神があるのは当然だし、またそうするのが日本の国体が連綿と続いていることの証明とも考えていた。ただしそれは国民の心情という以上のものではなく、天皇が直接政治に関与することはかえってその権威をおとしめることになるとの器具を抱いていたのであった。石川自身についても、いわゆる皇室と政府をはっきり区別する立場は福沢と同じであったが、明治天皇個人に対する思い入れがあまりにも課題に前面に押し出されているところが今日の目で見ると奇妙に映る。例えば大逆事件関係論説「上下親愛」(1911.2.2)は次のように始まっている。

 

で以下に漢文体の文章があるんだけど、めんどうなので書きません、明治天皇万歳の文章が続くだけなのです。

 

また石川と福沢の違いは植民地にもある。石川が領土拡張主義なのにたいして、福沢は経済活動を重んじて、領土拡張には反対だった。154ページから引用しよう。

 

「兵馬の上に於て外国を侵略するが如きは言うべきことにあらざれども、商売上は海外の諸国を侵して之を我領分にするこそ貿易国の本意なれ」

と福沢が日清戦争前に書いた、「実業論」のなかで述べている。

 

また石川にはアジア蔑視の感情が間違いなくあった、では、福沢にはなかったのか?、あの脱亜論を書いたのは福沢ではないか?という声が飛んできそうだが、それも説明します。脱亜論を書いたのは間違いなく福沢諭吉本人です、これは間違いありません。

 

では、福沢は脱亜論で何がいいたかったのか?アジアを軽視して、欧米の仲間になることを願っていたのか?これを平山氏はこう説明している。

 

福沢の真筆にアジア諸国を批判した論説が多いのは事実である。今日では有名になっている「脱亜論」などはその最もたるものだろう。しかしそれは福沢にアジア蔑視観があったということを必ずしも意味しない。なぜなら批判と蔑視(差別意識)は全く違う事柄だからである。この二つははっきり区別しなければならない。すなわち批判とは、誰もが同意可能な基準をあらかじめ定め、その基準から逸脱を具体的に指摘することで相手の不当性明らかにするありかたのことである。一方軽視とは、もともと何の基準を持たぬまま、亜相手をより劣った存在とみなすことである。

 

つまり、福沢は世界的価値観、ワールドバリューを誰もが同意可能な基準の尺度として、ナショナルバリューを批判したのだ。こう考えればすごくわかりやすい。この価値観の違いを見事に分析したのが副島氏である。副島先生は必ずといっていいほど、ナショナルな価値観は世界的価値観に負けるのだ、と書いていた。

 

要するに、今の世界帝国が大宣伝している、「人権」、「平等」、「自由」、「民主主義」といった価値観は、いかに世界の国々が、拒否しようとも、受けざるをえないし、その思想に染まっていくのだ。この世界的価値観がナショナルの価値観を駆逐してきたのが、人類の歴史だ。日本も明治時代、当時の価値観(英国とドイツの思想)に国内がせっけんされた。そして、大正デモクラシーという価値観も生まれたのだ。

 

いま現在の世界的価値観はアメリカが握っているのだ、だからアメリカが何をしても、世界は諦観せざるをえない。たとえサダムフセインが捕まって、殺されようとも、イラクでどれだけ人が死のうとも、世界帝国の意向にはだれも太刀打ちできないのである。

 

平山氏も多分、ナショナルの価値観と世界的価値観で福沢を考えたのではないか。そう考えれば、うまい具合に説明できる。つまり、福沢は世界的価値観を踏まえて、朝鮮を批判したのだと。

 

以上、書いてきたように、福沢の思想は石川によって、捻じ曲げて伝えられ、現在に至ったのが現状のようだ。よって真の福沢像を獲得するのがこれからの課題となるのだ。福沢諭吉の本当の文を読み直さなければなるまい。