K-1 WORLD MAX 2010
-70kg World Championship Tournament FINAL
2010/11/8@両国国技館
“過去最低の視聴率”“最高視聴率は石井戦”・・・大会直後の報道で最も大きく取り上げられたトピックはこれだった。
数字の結果は事実。しかし肝心のリング上で繰り広げられたトーナメントマッチは例年に負けず劣らぬ熱戦が続き、K-1MAXブランドの質の高さを再確認させてくれたのも事実だった。
では何がいけなくて数字が悪かったのだろうか? 存続の危機さえ囁かれるK-1MAXがこの先も未来永劫質を高め続けてもらいたいからこそ、何より消滅なんてしてもらいたくないからこそ、以下提言していきたい。
対世間へのK-1MAXの求心力が落ちた理由として真っ先に挙げられるのは“絶対的スターの不在”である。
言わずもがな、このジャンルそのものだった唯一無二のエース・魔裟斗が昨年末に引退し、今年はよく言えば群雄割拠の様相に、率直に言えばスター不在のドングリの背比べ状態に。
分かりやすさが必須な地上波テレビの世界でK-1MAXは焦点のない曖昧コンテンツになりかけてしまったと言える。
魔裟斗不在の状況をテレビ局も主催者も痛感しながら新しい策を練ってはいるが、誰よりもここで奮起しなければならないのは次のMAXを作るべき選手たちである。
一番強い意志をアピールしたのが長島自演乙、次いで佐藤嘉洋だったが、この2人が決勝トーナメントに残ったのは必然と言えよう。
自演乙は初戦で屈してしまったが、佐藤は自身初の決勝進出は果たした。そのとき、魔裟斗の影を感じることはなかった。
しかしながら優勝したペトロシアンは頭一つ飛び抜けて強かった。
全て判定ではあったが、中身をちゃんと見ればどの試合も完全制圧の勝利だった。パンチにキックにヒザと多彩な攻撃で新ミスターパーフェクトぶりを遺憾なく発揮してみせた。
こんなに完成されたトップ選手の強さと魅力を正しく分かりやすく伝えるのはテレビ局の役目である。MAXの未来はテレビ局にも委ねられている。
K-1には判定決着を軽視する傾向がある。ヘビー級で衝撃を生み続けたKOのインパクトがK-1のアイデンティティとして認知され期待されているのは、たとえ階級が軽くても同じこと。とはいえそう簡単にはいかないことはご存知の通り。
だが、判定だと面白くないのか? K-1ではなくなってしまうのか?
そんなことはない。魔裟斗だって判定は多かった。TBSが力を入れている亀田のボクシングだって大方な決着は判定だ。
KOに頼らないMAXの魅力を、他のスポーツ中継と同様にあくまでもスポーツとして電波に乗せていけば、視聴者はちゃんと理解してくれるはずだ。
それなのに競技よりもキャラクターに偏重しがちなのがTBS。亀田路線をなぞった番組作りに飽きがきている人も多いのではないだろうか?
そこで、こんな大英断というか大転換があればK-1自体がリセットされて生まれ変わるのではないか?
何をすればよいのか。ここは思いきってMAXブランドを『K-1』として統合し、テレビ局も低迷するTBSを離れ、オリジナルパートナーのフジテレビに完全集約する。
客観的に見て、フジテレビのほうがTBSより格闘技を真面目にスポーツとして取り扱う姿勢が感じられる。
実は格闘技ファンの大勢は同じ思いではないか?
UFCがWECを統合して結果規模拡大しブランドを強化させたように、MAXがTBSの下でくすぶるくらいなら、純粋に『K-1』として全てを包括し、生みの親であるフジテレビに我が身を託して再出発するのはどうだ?
一つの大会で各階級が混在しテレビ中継されれば、それぞれの魅力が同時にアピールできるはず。
大晦日のDynamite!!も格闘技の本質からかけ離れた中途半端な大衆向けマッチメイクに躍起になっているが、果たしてこれは格闘技そのものにとってプラスなことなのか?
だから自らチェ・ホンマンと闘いたいなどと言い出す者まで出てきてしまうのだ。
“バラエティ格闘技”からの脱却もK-1がちゃんとした格闘技として生きていくための急務だ。
両国国技館のグッズ売場で目の当たりにした不安はある。
陳列されたほとんどの商品がまるで在庫処分の一斉ディスカウント状態だった。
グッズは一般的人気を測るバロメーターである。それなのに、日本格闘技界を牽引すべきK-1がこんな状態とは・・・
どこかを変えれば何かが変わる。
日進月歩で高まっているクオリティを正しい形で世間に伝え、新しいファンを獲得していくこと。
好況だろうが不況だろうが、これは日常のたゆまぬ取り組み。
グッズ売場に行列ができるくらいのK-1を再構築してもらいたい。
