アニャン
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あれが最後だって知ってたら

 私は、語学学校で知り合ったキム君と、ほんの4ヶ月ぐらい付き合いました。


 その時は、本気で好きだったと思うし、相手もそうだったと思いたい。


 中には、国が違うことや、外国に来て寂しかったんでしょと言う人もいたけれど、少なくとも私は、彼を普通に好きになりました。


 めちゃくちゃな英語の会話で、相手の言いたいことは、完璧にではないけど分かってたと思うし、向こうもいつもちゃんと最後まで聞いてくれた。私の変な英語も、笑わずに、聞いてくれました。


 オーストラリアだから彼に出会えたんだと、一年以上経つ今でもすごくいい思い出として残ってます。


 ラトローブストリートにあるシェアハウスに住んでた彼の家までの、ちょっと緩やかな坂道を、今でもたまに思い出します。


 あの道に行けば、また笑って待っててくれる気がする。もう、絶対に会うことはないけど。



 最後、私は空港まで行かなかった。

 あれが最後だと分かってたら、ちゃんと空港まで行って、どんなに悲しくても寂しくても、一生会えなくなるぐらいなら、泣かずにありがとうと言えばよかった。


 一年も経てば、『あー、あんなこともあったな』なんて思うけど、オーストラリアを思い出すとき、いつもそれと同時に大好きだった彼を思い出します。


 これが一生に一度の大恋愛だとまでは思わないけど、まさかオーストラリアで、ここまで人を深く好きになるとは思いませんでした。


 


 

学校スタート!

 オーストラリアメルボルンに到着して、一週間後、ドキドキの学校がスタートしました!!予定は三ヶ月。


 30分以上前に学校に着いてしまいました。


 日本人っぽい子がいて、まずはその子に話しかけてみると、その子も着いたばっかりで緊張してると言ってました。コースが違うから、また会えればいいね~なんて言って、時間をつぶしました。


 その日はレベルチェックのテストで、ペーパーテストと、実際に先生と話してみるスピーキングのテストでした。


 それから、昼ごはんの休憩を挟んで、次は学校の施設の使い方の説明です。


 先生に、このコースは何階に移動して~とかいう案内があったにも関わらず、全然わからなくて、最後まで1人で教室に残っていると、韓国人っぽい男の子が1人、“4階だよ”と教えてくれました。


 4階に行くと、その子がまた『こっちだよ』と教えてくれて、『ありがとう』と言うのが精一杯でした。


 ちなみに私のレベルはプリインターミディエイト・・・下から二番目のレベルです。

 

 次の日学校に行くと、その子とクラスは違うけど、始まる時間帯は一緒で、会ったら、話しかけてくれました。『日本人だよね?』とか、『名前は?』とか・・・ 初めてオーストラリアで出来た外国の友達でした。


 クラスには、韓国人、トルコ人、イタリア人、コロンビア人、チリ人、ロシア人、日本人、タイ人などいて、こんなに様々な国の人のいる空間は初めてだったから、不思議なかんじでした。みんな優しくてひとまず安心でした。


 ただ、本当に自分は、シャイなんだな~って思いました。ヨーロピアン・南米系の子は間違っても他の子が指名されてても、ガンガン自分から答えを言うし、英語も話します。韓国人の子も、日本人より積極的だなって印象を持ちました。


 今となっては、普通なことでも、最初は一つ一つに戸惑ってました。


 ワーホリで行った際の語学学校は、意味があるのかないのかっていうことを何度か同じワーホリの人と話したけど、意味がないことは絶対にないと私は思います。


 三ヶ月で、伸びるのかと言われたら人によるけど、最初から、いきなり仕事したりする人もいるしそれで伸びたって人もいるのは確かで、自分がどうしたいかで変わってくると思います。


 学校で基礎を教えてもらって、外国の人と話すことに慣れる場と思えば意味はあるし、『そんなのいらない、まずは飛び込んで行ってそこから覚えたい』って思うなら、語学学校は必要ないと思います。


 私は、学校は行ってよかったなと思います。


 


 


 

メルボルンへ到着

 一番最初に着いた街はメルボルン。


 高校生の時に、修学旅行で訪れた街。空港の雰囲気もなんとなく覚えてました。


 税関を通るとき、金髪のお兄さんに『食べ物ある?』と日本語で聞かれ、こんなにドキドキして損した~と思って、空港を出ました。


 そこからは、タクシーでホームステイの家まで行きました。(相場の値段を、前もって、エージェントの人とホームステイ先の人に確認しておきました。)


 出迎えてくれたのは、オーストラリア人のおばあさん(元気いっぱいな)のマーガレットで、ゆっくり優しく話してくれました。トラム(路面電車)のチケットの買い方、使い方、降り方などを教えてもらい、夜に下宿生のジョンに初対面し、(一言も聞き取れなかった)とにかく環境の変化について行けないけれど、何とか無事一日終えました。


 次の日、街に繰り出して、まずは日本からメールでやり取りしていたIAE留学ネットの担当者さんを訪れました。かなり混んでいて、韓国人中国人日本人いっぱいのオフィスでした。元は韓国のエージェントらしいです。インターネット(会員は無料)を使わせてもらって、担当者の人に挨拶して、『これとこれとこれは手続きしてね、学校はこの日からだから、何時までに行ってね』とかそういう説明を受けて、その日は、在留届を出しに行きました。あとは、移民局に行って、ワーホリ専用のビザのシールをもらいに行きました。

 在留届は、多分インターネットでも、できたような。。。

 私は直接行きました。


 それで、なんて言っていいかわからず、ただビザがおりた時のメールのコピーとパスポートを渡したら何も聞かれず、『この番号持って待ってて』みたいなことを言われて、待ってたら順番が来て、また何も言わなくても、パスポートにシール貼ってくれました。

 

 それまでは、リスニングは何とかなるんじゃないかって思ってたけど・・・難しい!!

 これで生きていけるのか不安でした。

 ホームステイ先のオーストラリア人は、日本人の英語の発音や、ゆっくり話さないと理解しないことをわかっているから、会話が成り立ってたんだなって思いました。

 早いのか、なまってるのか、何なのか分からず、その日から、トラムや電車の中では音楽なんて聞かず、隣に座ったオーストラリア人の会話を耳をダンボにして聞きました。

 それでも、やっぱりわからん・・・


 ちなみに、少し分かり始めたのは、三ヶ月ぐらいして、やっとです。それでも、ところどころ分かるかなっていう程度です。

 三ヶ月ぐらい経ったある日、ニュースを聞いてて、いつもよりゆっくり話してるなって感じたんです。


 一年半いたけれど、全然分からないし、聞き取れないこといっぱいあります。

 だけど、聞けば聞くほど、単語を知れば知るほど、話せば話すほど、英語は伸びるそうです。


 とにかく、さっぱり何がなんだかな状態で、二日目も終了しました。