バレないように | 生活水準

バレないように

 邦明の死体を目の前にして、まず思ったのは「邦明にバレないようにしないと」ということだった。その発想に既視感みたいなものがあり、それを手繰っていったら、幼い頃の記憶に辿り着いた。

 邦明の部屋だった。足繁く通い詰めていた部屋だから、今でも細部まで頭の中でイメージすることができる。シールが乱雑に張られた小さな箪笥とあまり使われていないらしい整頓された勉強机と恐竜の絵柄の散りばめられたふかふかの布団とベッド。そして、ベッドの下には大きな玩具箱があり、そこには邦明所有のたくさんの玩具が収められている。

 邦明はその時、何か用があったのか、部屋に僕だけを残して、姿を消していた。しばらく僕はベッドの上に座って見慣れた部屋の様子を退屈しながらぼんやり見渡していた。しかし、途中から明確に自分のお尻の下にあるはずの、玩具箱のことが気になりだした。邦明は僕の持っていない玩具をたくさん持っていた。僕が玩具を買ってもらえるのは誕生日の時だけだけれど、邦明は新商品が出る度に買ってもらっていた。僕が今一番欲しいと思っている合体ロボも邦明の玩具箱の中には入っているはずだ。そう考えると急にそわそわして、落ち着かなくなった。誰もいないことを確認するように息を潜め、周囲の様子を探ってみる。邦明が戻ってくる気配も、家の人が近くにいる様子もない。僕はそっと、足元から玩具箱を引き出した。

 やっぱり合体ロボはそこにあった。邦明にしても最近のお気に入りなのか、一番上に置いてある。細部の金や銀のメッキが重厚感を醸していて、さすがの貫禄だ。テレビで毎週巨大化した怪人たちをやっつけるだけのことはある。僕は思わず手に取った。がっしりとした巨躯。ひんやりとした温度。部屋に差し込む西日でグリーンの目が輝いて見える。もはや、僕はその合体ロボに夢中だった。関節を動かしたり、刀を持たせた腕を振ってみたり、ロボのパンチを自分の体に当ててみたり。

 嫌な感触が、瞬間的に伝わった。何かが床に落ちて、カランと鳴った。それはロボの頭に生えた角だった。僕は慌ててそれを拾って、ロボの頭部にあてがってみた。当然つくはずもない。角は金メッキ加工が施され、頭と繋がっていたはずの断面は白い素材がむき出しになっている。それは要するに折れたということで、折ったのは紛れもなく自分だということだった。

 元に戻らないとわかって、今度は「これをどうやって誤魔化そうか」と考えを巡らした。焦っていたこともあり、幼い僕の頭では一切妙案は浮かばず、結局その間やっていたのは、戻らないと判断したにもかかわらず、ひたすらロボの額に角を擦り付けるという不毛な行為だった。

 やがて足音が部屋に向かってきているのが聞こえ、僕は角をズボンのポケットにねじ込んで、ロボを玩具箱に放り込んで、ベッドの下に押しやった。何も知らない邦明が部屋に入ってきて、何か話を始めた。テレビの話だったか学校の話だったか全然思い出せない。ただ、自分のポケットに収まり悪く突っ込まれた角がチクチクと僕の太ももを刺すその感触だけが、リアルに今も思い返される。

 当然、玩具で遊ぼうということになった。「今日は外で遊ぼうよ」とでも言っていれば、その場は逃げられたかもしれなかったが、僕はもうそんな抵抗をする余裕を失っていた。邦明の手によって玩具箱が引き出され、合体ロボが露になる。「ほら、見ろよ。この前買ってもらったんだぜ」、僕はその時初めて合体ロボにお目に掛かっているはずだったから、邦明はそうやって自慢をした。そして一拍おいて、「あれ?」と邦明の情けない声がした。

「しんちゃん、これ知らん?」

 邦明は合体ロボの額を指差している。僕はただぼそぼそと「知らん」とだけ答える。邦明が「これ、頭の角がないやん。なぁ、テレビでしんちゃんも見とるで知っとろう?」と今にも泣きそうな声で説明をする。僕は「うん、うん」とか細く相槌を打つ。「何でないん?何で。昨日まではあったのに」邦明の声もどんどん僕の声みたいにボリュームを小さくしていく。僕は邦明の顔を見ることができなかった。じっと、合体ロボの緑の目を見ていた。

 最後まで僕は知らぬふりを通した。その日は帰ってすぐに、ポケットに入っていた角をティッシュに包んでゴミ箱の奥のほうにぎゅっと押し込んで捨てた。邦明は別れ際までずっと「しんちゃん、本当に角のこと知らん?」と僕を問いただした。

 僕は邦明の死体を前にして、同じことを思っていた。「邦明にバレないようにしなきゃ」。邦明にバレないように邦明の死体をどこかに隠して、邦明がまた泣きそうな声で「しんちゃん、本当に知らん?」と言うことのないようにしなければと僕は真剣に思った。僕は生気を失った邦明の顔を覗き込んだ。目は見開いていて、それは合体ロボの緑の目と同じで、驚くほど何も語らなかった。