象 | 生活水準

 ニュースで動物園の象が逃げ出したと報じていた。その動物園は僕の家から車で三十分くらいのところにあったので、彼女を誘って象を見に行こうと思った。けれど、電話に出た彼女は、「象なんてどうでもいいから」と僕の興奮を一蹴して、代わりに豆乳鍋を食べに行くことになった。

 白濁したスープがゴポゴポ泡を立てるのを見ながら、僕は彼女に象の話を聞かせた。象が一日にどれくらい干草を食べるのかとか、象の四本の足に掛かっている負荷がどれくらいのものかとか、死に際の象がどんな行動をとるかとか。僕は象について関心を持たない彼女の態度が俄かには信じられなかった。きっと象の情報を与えて刺激してやれば、彼女も「今すぐ脱走した象を見に行きましょう」と言うに違いないと思い、僕は有りっ丈の象にまつわるエピソードを披露した。

 けれども、彼女の顔は豆乳鍋の湯気の向こうでどんどん曇っていくばかりで、僕の期待した言葉は遂に出なかった。結局彼女は「つまらない」と言って、雑炊用のご飯と卵が来る前に帰ってしまった。その時僕は初めて、女の子がファッションや恋愛なんかに比べたら象のことなど毛ほども興味がないのだと理解した。

 僕は帰りの車でラジオを聴いていた。ニュース速報が入り、動物園を逃げ出した象が捕まったことを知った。