"協栄ジムリングサイドクラブ ”偲ぶ会 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。


18日土曜日夜、練習後大竹マネジャーが、元世界S・バンタム級王者・佐藤 修 氏と、坂田健史選手を引率して、11日急死された、岩森 肇 さんを”偲ぶ会”に出席しました。

他に、協栄ジムOB会会長・沖ジム会長の宮下政生氏。元世界フェザー級王者・ナカハマジム会長・西城正三氏。元世界L・フライ級王者・白井・具志堅ジム会長・具志堅用高氏。元世界L・フライ級王者・渡嘉敷ジム会長・渡嘉敷勝男氏。

元OPBFミドル級王者・田島吉秋氏。37歳(当時)でプロライセンスを取得し、世界戦のカットマンで活躍する、ドクター・高橋伸一郎氏等。協栄ジム出身の関係者が、多数集いました。

1968年2月号のプロレス&ボクシング誌に、昭和39年、”リングサイドクラブ”が結成されたとあります。良いカード、好きな選手の試合には、日本全国はもちろん、海外にまで応援に行くという徹底ぶり。

中でも、”理髪一番”の藤田氏(故人)は、海老原博幸選手を応援する為に、遠くロサンゼルス、ブエノスアイレスまで、観戦に出かけられたとあります。

亡くなられた岩森さんは、誰からも”親方”と慕われ、愛された、協栄ジムが代々木にあった頃からの、”協栄ジムリングサイドクラブ”員でした。

経営される日本料理店で、何人もの選手の面倒を見てこられ、若手選手の育成を側面から後援していただきました。。

昭和61年喜友名朝博選手が韓国・仁川で、柳明佑の持つ世界L・フライ級タイトルに挑戦した時も、応援に来られた程です。タイトル奪取は成りませんでしたが、敵地での激戦後「いい試合だった」と喜友名選手を、慰めていました。今となっては、良き思い出となってしまいましたが・・・。

昨年まで、日本ランカーとして活躍した三崎一仁選手も、”親方”の所でお世話になっていた一人です。スター選手だった大嶋宏成選手を破って日本ランキング入り出来たのも、”親方”のハッパが十分効いての事だったと回想されます。あの時は、喜んでいました。

これだけのメンバーが顔を揃え、ゆっくり歓談できる機会等余り無いのですが、せっかく”親方”が皆を集めてくれたのだからと、深夜まで昔話に花が咲きました。

現役の坂田選手には、先輩王者連から厳しくも、暖かいアドバイスが送られ、昨年引退し現在は、芸能界に身を置く佐藤氏にとっても、有意義な時間であったと思います。大竹マネジャーが、具志堅、渡嘉敷の両氏に、芸能界での「修の事、よろしく頼みます」と何度も、頭を下げていました。
大竹マネジャーと渡嘉敷氏、私の3人は、実に良く遊んだ仲間であります。渡嘉敷氏から佐藤氏へは、芸能界での貴重な体験が、たくさん語られました。

海外大物タレントに突撃取材を敢行した時、簡単に門前払いで挫折。そんな時、あのタレントは”ボクシングの元世界王者”と知った相手側が、手のひらを返すように取材に応じてくれた事。

渡嘉敷氏は、大のボクシングファンである北野 武 氏に大変懇意にして頂いており、北野氏がヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞された時、「これで俺も、WBA獲ったかな」、「カンヌ獲ったら統一王者かな」と、渡嘉敷氏に語られたと言う貴重な言葉。

世界王者になる2年も前の、N・ハメド選手のビデオを見せられ「これは、強い世界獲るよ」と教えられた事。渡嘉敷氏は、「え~、へたくそじゃないですか」と返事を返したとか。北野氏は芸人になるか、プロボクサーになるか、最後まで悩んでいた事等。深夜まで、話は大いに盛り上がりました。

大変お世話になった岩森氏の、余りに早く、あっけない訃報に言葉がありませんが、”親方”岩森さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。合掌。