Suzumeno Tears の新作 | ロキノンには騙されないぞ

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主に海外音楽雑誌、メディアの評論家たちが高評価をつけている新譜アルバムをチェックしていくblog。日本のインディー興味深い作品も。

Suzumeno Tears <すずめのティアーズ>
Sparrow's Arrows Fly so High

 

 

 

所用を終えて、帰宅の途中

ふとラジオをつけてみたら、

ピーター バラカン の 番組、おそらく再放送だった。

 

そこで、流れていたアーティスト。

 

もう少し、トラディショナルな楽器構成というか、風味というかで

制作されていたら、さらに興味がわいていたかもしれないが。

 

 

https://natalie.mu/music/news/564664

 

町田康も絶賛「この音と言葉に出会ふ為に俺は生きてきた」すずめのティアーズが1stアルバム発売

 

すずめのティアーズはシンガーソングライターでレーベル・DOYASA! Records主催のあがさと、ブルガリア民謡の歌い手・佐藤みゆきによるデュオ。初のアルバムには先行配信曲「ザラ板節」「かわいがらんせ」などを含む全10曲が収録される。アルバムについて、町田康は「これがあつたらなんにも要らん。この音と言葉に出会ふ為に俺は生きてきた」とコメントを寄せている。

 

貼り付けの 江州音頭 って

 

元はこんな感じだが、

小さい頃の地域の盆踊りでよく聞いた。

 

調べてみると、滋賀県が元だとか。

ここから遠いんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

江州音頭(ごうしゅうおんど)は滋賀県を中心に近畿地方各地で盆踊りに用いられる音頭。棚音頭と座敷音頭(敷座)の2種類がある[1]。独立した舞台芸としても行われる(こちらは「口説き(クドキ)」と呼ばれる)。「江州」とは、近江国の別称である。

沿革と概要

音を出せるよう加工されたホラガイの貝殻。2006年、岐阜城資料館。隣には錫杖がある。
仏教の御経の節である声明を源流とし、山伏らによる民間布教手段として派生した祭文が一部で娯楽化し、次第に宗教色を薄めて遊芸としての祭文語りが独立した。浄瑠璃に近い説経節や、浪花節を生んだ浮かれ節などより下卑たものとされ、語りの合間に法螺貝を拡声器として用いて、一同で「♪ デロレン、デロレン」という合いの手を入れることから、デロレン祭文と総称された。[2] 同様の成立過程を辿ったものには、願人坊主が事とした「阿呆陀羅経」や、「チョンガレ」(チョボクレ)、「春駒節」、「ほめら」などと呼ばれた諸芸(これらの一部は明らかに春歌に属する)などがあったが、テレビが普及した高度経済成長期を最後に継承者は絶えている

 

 ...

 

また、大阪府三島郡味舌村(現在の摂津市)の音頭取り出身の漫才師砂川捨丸や、従来の三河萬歳を修めた中河内の江州音頭取りの玉子屋圓辰の大成功を追って、志ある一部の音頭取りは漫才、浪曲などの舞台芸に転じ、今日の演芸の源流のひとつにもなった。

古い(明治30年代~昭和40年代の期間)漫才の名跡(亭号)である『砂川』、『桜川』、『荒川』、『河内家』、『菅原家』といった苗字はいずれも大阪の江州音頭取りから派生し、『松鶴家』は歌舞伎俳優から俄に転じた者が多かったところから派生した。

元来の源流は近江商人兼業の音頭取り達が東海道・京街道・西国街道・清滝街道・伊賀街道・奈良街道など商用で訪れた各地の人々に余暇として江州音頭を伝えたことが基となり、各地で独自の改良を加えられ重なり大阪の江州音頭が生まれ、河内音頭の成立にも多大な影響を及ぼした。

明治中期から後期にかけて江州音頭が旧来から存在するその他の諸芸と並んで興行として演じられるようになってからは、江戸中期以来大阪で盛んに演じられ人気を博した即興喜劇である俄(にわか)や、同様の祭文を源流とする後発芸の浪曲などの諸芸と融合し、近江とはかなり異なる別のスタイルで大阪でも独自の発展・変革を遂げた。

 

ここだけよく覚えている。

 

囃子 「あ~よいやさあ~のせの~どっこいさあ~のせい」

若干文字のものと違うが

 

 

 

 

 

 

メモ