寒いです | 塞翁がウマ

塞翁がウマ

まあそんなものですよ。

冬なんだから当然です。

当たり前のこと言うなよーと言われそうですが、この「当たりまえのこと」でちょっと思い出したことがあります。

家で鍋をしたときに、キッチンのガスコンロに乗って熱く煮えたぎっている土鍋を、嫁がちょっと触って「熱い!」とすぐに手をひっこめました。
もちろん手にはキッチン用の厚い手袋をはめているので、そんな熱いわけはないのですが・・・。
そしてひたすら「熱い熱い熱い」と呪文を唱え、こっちをチラチラ見るのです。

背中がぞくりとしその意を察した私は、意を決してその土鍋をこたつの上の卓上コンロに運ぶのですが、嫁の回りくどい命令になんとなく反感をかんじ、「熱いと思うから熱いんじゃ~!」と、聞こえないようにココロの中でこっそりつぶやきつつ、煮えたぎったお汁と具が満載の土鍋を素手で持ってこたつの上に運びました。

当然、土鍋は熱いのでそう長くは持てませんが、ちょっと触ってもうダメってこともないのです。

熱いものをさらに熱い熱い、と思い込むと熱さ倍増、がまんならなくなるほど熱くかんじてしまうように思います。

そこで熱くない熱くない、と自分にいいながら熱い土鍋を持つと、案外持てたりします。
もちろん体調など個人差はあるのでしょうが、少しの間であれば持てる時間が長くなります。

これと同じで、仕事でもスポーツでもそうですが、しんどいとかんじてさらにきついきついと愚痴を言ってるとしんどさも倍増されていくような気がします。

毎年3月に高尾山薬王院で火渡りの行事がありますが、こんなことができるのなら、熱いと言えど土鍋程度なら・・と思ってしまいます。

確かに熱いものは熱いのですが、もさらに「熱い熱い」と思い込むと必要以上に熱さをかんじてしまうのではないでしょうか。

「思い込みのマジック」とでもいいますか。

出来ることでも出来ない、と思い込めばなかなか出来ません。
でも出来ないことでも「出来る!」と思えば、満点でなくとも多少は出来るものです。
小さなことでも少しづつこの「出来た」感を貯金していけば、人生楽しくなりそうですね。
もっと大げさに言えは、たとえ今は出来なくとも、「出来た!」を思い込んで行動したらそのうち本当に出来るようになりそうです。

と、まぁ熱い土鍋を運ぶという家庭内の超ミクロな出来事で妙な事を考えてしまいました。

あ、こんな話を鵜呑みにして熱い土鍋を無理して持って、がまんできなくなりこたつの上にひっくり返してしまい、その結果奥さんが実家に帰らせて頂きます!と子供たちを連れて出ていくような事になっても当方は一切関知しませんのであしからず。

そういえば、小林まことさんの漫画「1・2の三四郎」で、柔道かプロレスの試合で腕を痛めつけられ、「この腕は俺の腕じゃない!だから痛くない!」と思い込んで無茶する場面があり、大笑いしましたが、肉体的だけじゃなく精神的にも痛い目にあった場合、けっこう使えたりするんですよね。