
ジョーは、試合中に相手の顔面を強打した直後に、リング状で激しい嘔吐をして試合を棄権してしまった。病院の検査では、何の異常も認められなかった。段平と西は顔面強打をしたことの心理反応であることはわかっていた。
乾物屋の看板娘の紀ちゃんは、その姿にいたたまれず、段平に言う。
「段平さん、もう彼をボクシングから足をあらわせて。
お願いします。このまま続けさせると矢吹君だめになってしまう。廃人になってしまう・・・人間じゃないわ、闘犬用に育てられた・・それこそ傷だらけのかませ犬みたい」
段平も、紀ちゃんに言われるまでもなく、ジムをたたむことすら考えていた。
しかし、意識がもどって、ジムに降りてきたジョーは、狂ったようにサンドバッグを打ち続ける。
段平はその姿に戦慄する。「傷だらけの、かませ犬か・・・やろう、リングで力石の亡霊と心中する気だぞ」
心の傷は意識ではどうにもならない。頭ではわかっていても、体が言うことをきかない。その傷の痛みを消すために、人は端から見れば不合理な、自滅的な行動をとることがある。何とかしたい、何とかしなければ、その焦りと、自分を追い詰めることが、逆効果になることがある。そして、自体はさらにこじれていくのだ。
しかし、そうかといって、ゆっくり休養して、優しく慰められていたら、傷は癒えるのだろうか・・・そうともいえない。そういう自らを傷つける、自らを追い込むというプロセスがどうしても必要な場合もある。
人は無意識に、今の状況に納得しようとして、そして何とか納得して生きている。これでいいのだと言い聞かせながら。しかし、それは論理的な答えではない。だから、何かの拍子に簡単に消し飛んでしまうものだ。そして、その直後から、これでいいという納得した世界はなくなり、不安と焦りと無力感に陥ってしまうことがある。
そういう人の心のはかなさを、漫画や小説や映画を通して疑似体験し、自分の体験と重ね合わせ、ぎりぎりのところで自分の心のバランスをとって生きていく・・人生とはそういうものだと思う。
まあ、いい漫画を読めよってことだな。