ジョーは力石の葬儀に出席しなかった。それどころか、ドヤ街の子供達とふざけて戯れていた。それを見た、新聞記者たちはジョーの行動にあきれはて、白木ジムに気の毒で、記事にする気にもなれないと言って去っていった。

ジョーのはしゃぎっぷりは、あまりのショックに対する反動だった。やり場のない気持ちを紛らすために・・・。子供達とも別れ、一人になると言いようのない気持ちが襲ってきた。

少年院時代からの出来事を反芻し、「のろい殺してやる・・・とまで、うらみ続けてきた力石が、いざ、おれの手にかかって死なれてみると・・・・これほどまでに慕わしい存在に思えてくるなんて---

いったいおれは・・・おれの頭ん中はどうなっちまってるんだ」そうつぶやき、雪の降る中ブランコにたたずむジョー。

段平と西がなぐさめるが、

「頭だけじゃねえ。腹も胸も、手も足も、体中にでけえ穴があいてて、風がひゅうひゅう音とたてて通り抜けるのさ。

むなしくって、むなしくって・・・・どうしていいかわからねえんだ」

俺を一人にしてくれと叫んで、街の中にかけていった。

 

ジョーは愛をしらず、人を信じることもなく、友もなく、不遇な人生を生きてきた。それを跳ね返すかのように、無鉄砲に生きてきた。野生児、無法者と呼ばれ、恐れられ、嫌われ、さげすまれ、生きてきた。

人の情をしらず、むしろそれを感じないように生きてきた。それが拳闘を初め、人に慕われる喜びを知り、認められる喜びをしった。ジョーにとって拳闘との関わりは、人生そのものであったのだ。拳闘を通して、それまで体験できなかった人生をきざんできた。

よいことばかりではすまない。そして、今、ついにジョーは大切な者との別れを経験してしまった。しかも、その死に自分自身か関与する形で・・

自分でも予想していなかった、思いもよらなかった感情に直面することになったのだ。

人は生きるプロセスで、様々な感情体験をする。よいこと悪いこと、うれしいこと屈辱的なこと、楽しいこと耐え難いこと、勝利と敗北、高揚と罪悪感、両極の感情を体験し揺れ動きながら心は成長していくのだ。

それはスムーズな道のりではない。時として、予期せぬ、耐え難い感情に出くわした時、人は心のバランスをくずす。今までの人生がはかなく崩れ去り、何をどうしたらよいのか分からなくなる・・・

そして、その暗闇の底をうごめき、ゆっくり手探りで、そこからはい上がった時、人は一回り成長するのだ。しかし、そこからはい上がれる保証はない。いつでられるのかもわからない。

肉体のダメージなら休んでいれば回復するだろう、心のダメージは何をどうすればよいのか分からないものだ。何をしても裏目にでることもある。そんなとき、大切なことは何か・・・無理にはい上がろうとしないことだろう。最も大切な要素は、時の流れである。時の流れはすべてを流していってくれる。それまでの間、何もしないことがもっともよい事である場合もある。いや、その方が多いだろう。