
ウルフ金串をトリプルクロスカウンターで再起不能にして勝利をおさめたジョー。
いよいよ、力石との宿命の対決がせまる。しかし、もともと階級が違う二人だ。ジョーを認め、ジョーを倒すことに異常な執念を燃やす力石は、非常識な減量を行い、フェザー級からジョーと同じバンタム級に落とすというのだ。もともどフェザー級ですらギリギリだったのに・・・。
単に、少年院で出会い、少年院での勝負に決着がついていないとかいうちっぽけな動機ではなかった。力石はいう。
「本心をいやあ、おれは一日も早くチャンピオンになって金を稼ぎたい・・・
富と名誉をこの両手に握って、世界のボクシング界に力石徹の名前をとどろかせたい!
ただ・・・矢吹って男を、それ以前にこの腕で倒しておかんことには・・・胸をはり自信を持ってボクシング界に君臨することができないような気がするんです・・・わかりますか」
誰が止めるのも聞かず、力石はジョーとの闘いに照準を定め、異常な減量地獄に突入していくのだ。そして、減量に苦しむ力石に白木会長はいう
「フェザー級にとどまる気にさえなれば、そこまで飢えることもなう、われわれと一緒に楽しい食事ができるのだぞ!つめたい飲み物もコックの自慢の料理も存分に味わうことが」
そこで力石は言うのだ
「おれは・・・
近代設備で日本一を誇る白木ジムから誘いをけり、乞食の住むような橋の下のオンボロジムで旗をあげてのし上がってきた男と戦うのですよ。
これくらいの事が苦になるようでは負けたも同然です!
今日からは、この豪華な白木邸ではなくジムへこもって寝泊まりすることにします」
どうしてここまでする必要があるのか。なぜ、そんな無謀な遠回りをしてまで、ジョーにこだわるのか。放っておいても、階級が違うのだからだれも比べもしないだろうに・・。どこかの三階級制覇を豪語するチャンピオンはどう思うのだろうか。日本人との闘いを避け、遙かにレベルが低い、よくわからん外国人を連れてきては勝利を重ね、世界ランキング入りし、効率よくステップアップしている生き方、まさに現代的ではある、名より実!一文にもならない自分の誇りなどほったらかしで、勝つためにはどんな汚い手でも使う。今の日本社会の象徴だろう。
かつて、梶原一騎の時代、実より名を、名誉を重んじる文化がまだあった。損をしてでも、自分の誇りを守る方をとる。損をしてでも、人の名誉を守ることに命をかける。自分を捨ててでも、大切な人を守ることをいとわない・・・そういう時代があった、確かに。
今、格闘技ブームではあるが、血がたぎるような試合に巡り会うことはほとんどない。かつて、フィクションかノンフィクションんかはわからんが、アントニオ猪木がアリと闘い、ウイリーウイリアムスと戦った時のような緊張感はもはやない。
ネットのどこかに書いてあった言葉が印象的だ。格闘技が面白くなくなったのは、梶原一騎がいなくなったからだ・・と。
話がそれたが、かつて拳闘は格闘技の中の格闘技、格闘技の最高峰だったはずだ。誰もが、ボクシングのタイトルマッチは命がけの闘いであると信じていた。
あしたのジョーはそういう時代のボクシング漫画だと言うことを忘れてはいけない。ハングリー精神のない者は拳闘の世界には生きられない。あの日本最高のチャンピオンだった具志堅用高ですら、防衛を続けるうちに、当初の野生は消えていった。人間は野生には勝てない。ボクシングは野生の世界だった。
力石に話をもどそう。無謀な減量・・表面的に見ればそうだろう。しかし、それは最高の野生の世界である、すべての欲得、計算、すべてをすてて、勝ことだけに集中する。余力があれば、他の煩悩も生まれるだろう、計算が生まれるだろう。
しかし、力石はすべてを捨てて野生を選んだ。なぜか、ジョーは天然の野生だからだ。野生のジョーに勝つためには自分が野生になるしかない。力石は本能的にそれを感じ取っていたのだろう。だから、矢吹越えをしない限り、自分は本当のボクサーにはなれないことを自覚していたのだ。
他のボクサーがみなそうではない、そんなわけがない。生き方の問題だ。人がどう思うかなど関係ないのだ。自分の人生は自分で決める。自分の命は自分で決める。自分が納得しない人生など、何年生きても何になるというのか。たとえ死んでも、自分が納得できる生き方を選ぶ。そんな厳しさにみな憧れた。自分にはできるはずがない、そういう生き方に、少なくともフィクションの世界にはそれを求めた。そして、ほんのかけらでもいい、自分もそれに近づきたいと思っていたのだ。
欲得と計算を隠すことなく、だらしなくさらけ出し、ソドムとゴモラさながら、堕落した世界をだらしなく生きる現代の民。国家の品格などという本がベストセラーになるような時代だ。品格は語るものでも、見せるものでもない。心の奥底にしまい、人にはバカだタワケだと言われても、決して動じず誇りをもって生きる。それこそが、梶原一騎から教わった生き方だ。