ジョーはウルフ金串にけんかをうって名を世間に知らしめ、ついにプロボクサーになった。そして、いよいよウルフとの因縁の対決が迫る。

初め、ジョーの蟻地獄のようなクロスカウンターに怯えていたウルフは、クロスカウンター殺しの秘策を授かり、余裕の表情を見せる。報道陣をシャットアウトして、秘密トレーニングに励むウルフ。

はなからウルフなど眼中にないと余裕を見せるジョー。しかし、ウルフの目にただならぬものを感じた段平は、強い不安を感じるのだった。

話題作りに熱心なマスコミは、丹下拳闘クラブに訪問し、対ウルフ戦に勝算はあるかと無神経な質問をする。

いらつく段平は答える

「勝算? 世界のチャンピオンがランキングにもはいっとらん無名の選手にぶったおされるのが、拳闘の世界よ。そんなものやってみんことにはわかりゃせんわい。」

記者「おやおや思いのほか頼りないご返事」

段平「頼りないだと・・・?けっ、試合前に勝算がございますなどとぬかせるやつは、よほどの思い上がり野郎か、拳闘を知らねえ間抜け野郎よ!」

 

恐れを知って、大口を叩くのは勇気がいる。ただし、本当の勇者は大口など叩かないだろうが・・・。恐れを知らない恐れ知らずは、ただの子供じみたばか者だ。

子供が思いの外大胆な行動にでるのは、恐れを知らないからである。年齢とともに恐れを体験し、子供の時、平気だったことができなくなっていく。人は身体や心の痛みによって人は恐れを知る。そして、その恐れを乗り越えて行動したときに勇気を知る。恐れと勇気は一体である。

恐れを乗り越えて行動にでる勇気は、人の支えがないと経験しにくい。リスクを冒した行動をする動機があってこそ、現実の行動となる。動機はどこから来るのか、応援してくれる人がいる、負けたくない、認められたい、誰かを守らなくてはならない・・などなど、常に相手があるところに動機は生まれやすい。人は一人で頑張っているように見えても、実は関係の中を生きているのだ。

他者が全くいなければ、何をする気も起こらないだろう。だから、孤立感が強い人は行動できなくて当然なのである。

人に囲まれ、いろいろ経験し、自分の限界を身にしみ、そして、その限界を勇気を持って乗り越える・・そういう体験を人生の中で積み重ねられたものは幸いである。そういう環境を与えられたことに感謝しなければならない。

ジョーも力石というライバルがいたから動機を持ち続けることができた。段平と西がいたから、その思いを現実の物にすることができた。そして、ドヤ街の仲間がいたことで頑張り続けることができた。

人は一人で生きているような気がするだけで、自分と関わりのあったすべての人とのつながりの中を生きているのだ。それを意識することで、さらに勇気を持つことができるだろう。つながりを自覚することで、苦痛に耐えることができるだろう。

強くなるには恐れを知らなくてはならない。恐れを乗り越えるために、自分につながる物を意識することに目覚めるのだ。そうでもしなければ、人は自分だけで生きているという錯覚に陥ってしまうだろう。恐れを乗り越える為には、勇気が必要だ、勇気はつながりの中からしか沸いてこない。

つながりを自覚しない力は、恐れを乗り越えたのではなく、恐れを無視したということになる。無理矢理子供の時の感覚に自分を押し戻したわけだ。恐れを知らない自分に逆戻りさせたわけだ。そういう者は恐ろしい、身体と知恵は大人で、やることは子供ということになる。子供は残酷だ。それは何も知らないからできることなのだ。

そうやって無謀な行動に出られる者は、勇者ではない。その行動は、いずれ自分を破壊することになる。それに周りも巻き込まれることになる。

小さいときから、身体と心で限界を体験させ、それを乗り越える勇気を育ててあげる、そんな当たり前の行為が、なかなかできなくなった時代だ。道具、機械などで限界を奪ってしまい、頑張れば何でもできるような錯覚を与えている。その結果、自分の輪郭を描けなくしてしまう。自分が何ものか分からないまま大人になってしまう。どうすれば勇気を振り絞れるかの体験もさせない。本当にひどい文化になってしまった。何が本当に大切なのか、もう一度考え直すときなのだと思う。