
ジョーが少年院からでてきた日、その日の夜、丹下拳闘クラブにはドヤ街の住人があつまった。ジョーの退院祝いと丹下拳闘クラブの発会式が行われたのだ。
だれが企画したものでもない、うわさを聞いたドヤ街の住人達もそれぞれに酒びんや肴、お菓子などをかかえて集まってきたのだ。
「段平はしあわせであった。西もまたしあわせであった。子供たちも今までになく幸せそのものであった。
しかし、幸せを一番深く強烈に感じたのは矢吹丈ではなかったろうか
ジョーは生まれてこのかた、こんなに人から慕われたことはなかった。こんなに愛されたことはなかった。こんなにまぶしいほどの喜びを感じたことは、かつて一度もなかった。
ジョーは、このうれしさやよろこびや幸せ、感謝を、今ここで、どう表現していいのか分からなかった。ぼんやり夢をみているように、みんなが踊りくるい笑い、歌うのを、ただ見つめるだけであった。
深夜子供たちが帰り、住人たちもそぞろ引き上げていった後、屋根裏に作られた寝床にもぐりこんだジョーは
酔いつぶれた段平や西に気づかれぬよう、ボロぶとんのはしをかみしめて一人泣いた。
ジョーが人間の愛に涙を流したのは今夜が初めてのことであった。 」
ジョーがこういう涙を流すシーンは、物語全体を通して、このコマだけだと思う。ジョーの生き方が、深いところから変容する大事なシーンである。拳闘は孤独な戦いであるが、その戦いを支えてくれいてる人を感じられるから頑張れるのかもしれない。一人の力が何倍にもなるのかもしれない。
打算のない思い、掛け値なしの思い、純粋な思い、そういうものに人の心は動かされる。それは今も昔も同じはずだ。
ただ、違ってしまったのは、物があふれ、すべてが経済的価値で推し量られるようになり、人より少しでも何かを手にするために、一生懸命になっているうちに、大事な感覚をわすれてしまっただけだ。
何かを得れば何かを失う。物を得ることで、心を失う。形を求めることで、形にならないものを失う。金を求めることで、金では計れないものを失う。
得ることは失うことである。うるおぼえであるが、ネイティブアメリカンの言葉に、
「持たざる者は最も豊かな者である」とか書いてあった気がする。
仏の教えも、生涯かけて煩悩を、執着をすてることをにつきる。物に執着した人間は安心して死ねないからだ。安心して死ねない人間は、安心して生きられないからだ。
かつてブータン王国は最も貧困で最も豊かな国と言われた。今は、どうもかなり西洋的価値観で汚染されてしまったようで心配だが・・。
くだらない物に執着して、大事な物を失うような生き方だけはしないように心がけたい。そう思っても、自分もいろいろな執着の固まりなんだと痛感する。執着がなかったら、そもそもこんなブログは書いていないだろうからな。