
いよいよジョーと力石の因縁の対決の日がせまった。しかし、その日を待たずして、力石がジョーを挑発してきた。そして、リング外での戦いがはじまった。
力石はジョーとの試合を待たずして、少年院をでられることになっていたのだ。ジョーの力に一目置いた力石は、少年院を出る前にジョーと決着をつけておくこと、ジョーをつぶしておくことにこだわった。練習用のリングに場所を移し、試合を再開した。それを聞きつけて、大勢の院生たちが集まった。ジョーのパンチが力石をとらえる。力石も驚くほど、ジョーのパンチが重く響く・・実はこのとき、ジョーはグラブの中に石を忍ばせていたのだ。
今、こんなところで決着をつける必要はない。お互い少年院をでたら、プロのリングで正式に決着をつければいいだろうと、段平は二人の試合を止めた。
その時、力石は段平に向かって、段平のボクシング界での悪い噂を言いふらす。段平は過去において、ボクシング界でかずかすのトラブルを犯してきた。
そんな力石の態度をみて、白木葉子も会長も、それをいさめる
「それをいったらいかんな・・・そこまでは余計なことじゃ」
葉子は言う
「おだまりなさいってば!あなた、いつからそんなにおしゃべりになったの
男のおしゃべりなんて最低よ!」
人は追い詰められると、心に余裕がなくなると、余計なことを口にしがちだ。
余計な言葉は心の不安に端を発するものだ。不安がないとき、不安を制御しているときは、人は余計なことは言わない。相手のことを思いやり、あえて傷つくようなことは言わない。
相手を傷つけるような言葉を発するとき、それは殴りつけているのと同じで、恐れの裏返しなのだ。心の弱さが、暴力をうむのだ。
男のおしゃべりなんて最低よ・・・・お笑いコンビの何とかいう二人組が
「男はだまって・・・」という芸を披露している。昔から、「男はだまってサッポロビール」というキャッチコピーがかつてあった。男はだまっている方が美徳だったわけだ、昔はね。それがお笑いネタになるくらいだ。今や男もおしゃべりだ。テレビを見ても、べらべら自説をご披露している輩がうじゃうじゃいる。
男はだまってというのは、だまっていることが大事ではなくて、言葉ではなく行動でしめせという意味だ。べらべらしゃべっている暇があったら、説得力のある行動をしてみろ、行動を伴わず何をしゃべっても何の価値もない。男なら行動で示せ!
これがかつての男の行動原理だったわけだ。あこがれの男は、やはり高倉健だろう。古今東西、男のあこがれはハードボイルドだった。ハードボイルドの主人公は、口数は少ない。そして、要所で、ぽつりと胸を打つ言葉を吐く。それが格好いいというのはもう時代遅れなのかな。
何でも言葉にすることをよしとする文化。自己主張、ディベート、交渉術、口説き文句、気の利いたセリフ、場を盛り上げる話術・・・年中、祭りのようにしゃべりまくり、人を笑わせたり、注目を引いたり・・ね。
本当に大切な事は言葉にはならない。本当の心は行動に現れる。わしはそう思う。