ボクシングによって、少年院はすっかり変わってしまった。みな目標を見いだしたのだ。苦労する理由、頑張る理由、しかも誰からも強要されたわけではない。目標がはっきりしたので、面白くもない農作業にも力が入る。「これが終われば練習ができる!」

収容生たちが大騒ぎしながら作業をするなか、一人離れて黙々と作業をするジョー。しかもわざわざ苦労するような方法で・・何を考えているのか・・

「なんだあ、あのくわの使い方は・・・左手を怪我でもしとるのかい」

「のんびりやってやがるなあ、ジョー兄いは・・・

片手をポケットにつっこんで作業をやるなんでちいとばかしぶったるんでるんじゃない?」段平も、ドヤ街の子供達もきょとん顔だ。

西は言う

「最近のジョーは・・・一事が万事あの調子なんや

いもほりもスコップを使わず素手で掘り出すし、雑草取りも草の根っこに指を二本づつ引っかけるだけで、青色吐息で引き抜きよる・・・どないつもりが知らんが、わざと骨が折れるようなしかたばかりやりたがるんや

 

西はうすうす気づいていた、ジョーはこの野外作業のすべてをボクシングを結びつけておるんじゃないかと。

段平は驚いた。もしそれが本当なら、自分が思っていた以上の大物だ。段平が確認するとジョーは言った。今度こそ、力石には負けられない。そのためには手首を強くしなくてはいけない。前の試合で、力石のパンチがやたら効いた。それは当たる瞬間に手首がしっかり返っていたからだ。ボクシングの命はスナップだと気づいたのだと。

一試合でそれに気づいた天性の才能がどうかというより、大事なことは、その後のジョーの生き方だ。わざわざ苦労するような事をする。しかし、それは大いなる目標に向かっているわけだ。それだけでどうにかなるわけではない、遠回りでも、馬鹿げた苦労だと人に思われても、自分の信じるところに従って地道に続ける。短時間、短期間頑張ることは誰でもできる。しかし、日々の生活を苦労するやり方に変えていくのは困難なことだ。こういう行為を「行」とか「修行」という。

燃え上がる炎は心の内に秘め、一つ一つ、地道に、すぐに形にはならないことを、あしたを信じて続けること、そういう行為の尊さを今の社会は忘れてしまった。今日やったことの結果があした得られることを望む社会。望む結果が得られないと怒り出す社会・・・

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」昔はよく言われた言葉だ。それが、自分の血肉となり、いつか遠い未来にきっと自分を支える力になる。そう信じて人々は歯をくいしばって生きていた時代・・それがよかったのかどうか分からないが、それが死語になってしまった今の社会は何か寂しい。