
丹下段平はかつて、ボクサーであった。試合中の事故で左目を失い、ボクサーの夢を断たれたのだ。それでも、自分で小さなジムを構えて、後進を育てようとしていた。自分が育てたボクサーの試合で、その選手は、思うように戦ってくれない。ポイントで負けている最終ラウンドでもKOをねらって捨て身の戦法にでられない・・・そんな選手に苛立ちを隠せない。しかし、当の選手は
「へたに打ち込んだら、敵さんも全力で打ち込んできまさあ。逆に、KOでもされたら判定より遙かにかっこわるいからね」
「おれはもともとテレビに映りたいからボクサーになったんだ」という。
段平はなげく
「世も末だ・・・二言目にはかっこいいだの悪いだの、すっかりタレント気取りでいやがる」「飢えきった、わかい野獣でなければ四角いジャングル・・つまりリングで成功することはできないっ むかしからの格言どおりだ」
ハングリー精神。スポーツの世界だけではなく、よく聞いた言葉だ。ハングリーさがモチベーションを呼ぶ。豊かになってしまったら、それを維持することが難しい、だからチャンピオンになったものが、王座を守り続けることは極めて難しいわけだ。
今の時代、ハングリー精神という言葉自体、死語だ。スポーツトレーニングでも、「根性」などは否定され、理論に基づく科学トレーニングが重要視されている。しかし、当の選手は知っているだろう、どんなに科学が進み、どんなに合理的なトレーニングを積んでも、最後の最後は「根性」であることを・・・
なぜ根性とか、泥まみれになってとか、見苦しくも必死で頑張る姿を否定してしまったのか。なぜそれほど、かっこうよくスマートでなくてはいけないのか・・今の人々は何を恐れているのだろうか。「傷つくこと」きっとこれだ。必死の必死でやったら、その結果は本当の本当の結果になる。それで負けたら本当の負けになる。言い訳なしだ。
でもきっと言い訳が残っている内は、本当の力はでないのだと思う。どんなにちっぽけでも、見苦しくても、それが今の自分に精一杯なら、いいではないかそれで。そこからまた始めればいい。大事なことは、自分で自分を見限らないことだろう。