自暴自棄の飛雄馬は、ヤクザとのもめ事を解決するために、自分の命とも言える左小指をつめることを申し出た。しかし、飛雄馬を愛する京子は、身をそれを許さない。早く自分の指をつめろとヤクザの手下をせかす。振り上げた木槌めがけて、飛雄馬はインク瓶を投げつけて阻止したが、落とした木槌があたって、京子の指からは血がほとばしった。そこまでして自分を守ろうとした京子の真心を踏みにじるわけにはいかない。飛雄馬は京子を抱えて、ヤクザの事務所から脱出した。指つめに使われた包丁を片手に・・。ヤクザたちに向かって、「もしおってきたらこの包丁を組長めがけて投げる。俺はボールをバットに命中させてきた男だ」と。組長は、飛雄馬の気迫にまけ、子分たちが追うのを静止する。「恐ろしい男だ。追い詰めたら、自分も道連れにされる。」と。

京子を抱きかかえ、病院に向かう飛雄馬はつぶやく

 

「まじりっけない血のしぶきに、俺の父親に復讐という身代わり動機は汚らわしい許されざるものと成り下がった!」

 

しかし、自分はその愛にこたえることはできない。美奈の死に際しての誓いもあるが、今生きる屍同然の身に、かくも純粋な愛にこたえる資格はないと。

修羅場に直面しても、まだ、父親への思いに固執していた飛雄馬。しかし、その中途半端な思いを断ち切ったのは、不良女番長(こういう言い方も、今は死語だな)京子の純粋な愛だった。

こういうものだ。人生に於いて、親子のしがらみ、親子の葛藤を乗り越えていく原動力は、異性との関係である。逆に言えば、よき異性との関係を持てれば、成長につながり、異性との関係が良くなければ、その壁を越えることはできない。親子の葛藤を異性との関係にまで投影し、さらにこじれていくことだってある。

「命がけの、純粋な愛」もはや、その前にはどんな理由も、言い訳も通用しない場面。梶原一騎は、その後「愛と誠」という作品で、このテーマを中心にした漫画を書いた。「君の為なら死ねる」これが、この漫画の決めぜりふだったのだが、飛雄馬とのやりとりの中で、ヤクザの組長に「星、あいつは、人のために死ねる男だ」と言わしめた。

愛のために、大切なものの為に自分は死ねるか、命をかけられるか・・・このテーマは、あまりにも重く、軽々しく口にはできない。ぎりぎりの場面で、自分はどういう行動をとるか。その場面になる前に、えらそうなことは言えない。しかし、自分はその場面で、大切なもののために命をかけられる人間でありたい、私はそう思うのだ。

そうあるために、どうすればよいのか・・・日々、小さな出来事もなめてかからず、時にはぎりぎりの場面での自分をイメージして、自分の覚悟を確認する。戦後60年以上がたち、戦争という不本意な状況で大量に命が奪われない、命の奪い合いに不本意に参加させられることのない時代・・・そんな時代に、われわれは、どうやって、自分のとぎすまされた感性を維持していけるのだろうか。

今、問題になっている、自殺、いじめ、殺人・・そういった、命を覚悟なく弄ぶような感性は、こういった人として本当に必要な覚悟を自覚することなく生きられる時代だからこそ起こってきたのだと思う。

そんなことを覚悟して生きる時代がよいのか、命の価値が下げられ、なんとなく生きている時代がよいのか、真の平和とはなんなのか・・・・。

巨人の星から、そこまで飛躍することはないけどね。