大リーグボール1号は見事に打倒したものの、大リーグボール2号、消える魔球の前に自信をすっかり失ってしまったオズマ。そのオズマは志半ばのまま、カージナルスから返還命令が下った。もともと、カージナルスから中日に借りていたので、従うしかない。オズマが、苦労の末、師として絶対の信頼感をもっていた一徹は、オズマを手放すなら球団をやめるという。継続の条件として、伴宙太をトレードするなら残留すると無理な要求をする。伴宙太は消える魔球の秘密を最もよく知る男だ。そんな男を巨人軍が放出するはずがない・・。とまどう中日首脳陣・・・そこには、まだ呆然としているオズマがいた。そのオズマに向かって一徹は言い放つ。

「なんだ、オズマ まだ そんなところにおったのか?帰国と話が決まったら、ぼけっとしとらんでしたくがあるじゃろ、したくが?」

それまでの関係など全く無視した発現に、驚くオズマ

「オズマよ、感傷は無用!なるほど、わしとおまえには、親子にも勝る二人三脚の一時期があったが、そんな思い出話はじいさんになってからせい!」

 

「ふりむくなっ 見るまえに飛べっ ただ前進あるのみ。それが青春じゃよ!

大リーグでの健闘を祈る」

 

厳しい、厳しすぎる、冷たい。人の感情がないのか。常日頃、冷静沈着で、合理的な発言、行動をモットーとする一徹ならではの言葉だ。そんな一徹が、こと飛雄馬のことになると、いつも感情丸出しになり、狼狽、動揺する。そんなギャップが、この漫画の一つの特徴である。冷静で甘えを許さない男としての一徹、冷静であろうとするがボロがでてしまう、過保護な父としての一徹。それが交錯し葛藤し、物語が進んでいくのだ。飛雄馬も、しょっちゅう感動し、大げさに涙を流す。人情にほだされると人目もはばからず涙を流す。そして、そういう自分を、うちの血筋だからしょうがないという。大げさな家族だ。そういうわかりやすい感情表現、道徳観、人生観に、自分を照らし合わせながら漫画を読んでいたのだ。

余談であるが、原作ではオズマはこのまま消え去り、その後の消息はわからないままであるが、アニメではオズマをめぐってのドラマが展開される。

時は米国がベトナム戦争まっただ中だった。オズマにも赤紙がきて戦争に行かなくてはならなくなる。かの偉大なボクサー、モハメッドアリ(カシアスクレイ)は、従軍を拒否したため、投獄されチャンピオンの座も失った。それでも、彼は何の恨みもない弱者を殺さなくてはいけない従軍を拒否した。アニメの中でのオズマは逆だった。一徹に鍛えられ新人で三冠王の座につき、名誉を手に入れた。従軍を拒否し名誉を失うのは絶対に嫌だ、自分は一流のアメリカ人として認められてのだ、その地位を失ってたまるかと戦争にいく。そして、戦場でもたぐいまれな身体能力を生かして多くの栄誉を受け、ついに米国の英雄になる。しかし、戦争中に受けた背中の傷が元で野球ができなくなり、命も落としてしまう。飛雄馬は、ベトナムから帰国のさい、横須賀によったオズマに再開し、懐かしむ。お互い、野球ロボット/野球人形から、人間としての葛藤にぼろぼろになりながらも、自分たちはロボットから人間になれたと思っている。「おれも人間になれた」というオズマに、飛雄馬は心の中で思う「オズマよ、君は野球ロボットではなくなったかもしれん、しかし、おれにはまた君がロボットになったように思える、名誉という名のロボットに・・・」

というように、昔の漫画は、いつも教訓じみたことを子供に伝えようとしていた。子供は大人に世話を焼かれる、説教されるのは嫌いだ、それは今も昔も変わらない。それでも昔の大人は、頑強に教訓や説教を言い続けた。そして、それを言えるだけの一本筋の通った生き方を心に秘めている人たちがいた。

今、同じような行動をとっても通用しないだろう。子供が変わったのではない、大人の中に一本筋の通った物がなくなったからだ。そういう大人に何か言われても、子供の心に響くわけがない。崩壊しつつある人間社会、子供を何とかしようとするのも結構、同時に自分の身を律することだ、大人諸君は。

武士の一分という映画が封切られた。

「人には命をかけても守らねばならない一分がある」

人は心に誇りを秘めて生きるべきだ。でもな・・人がみなそうなってしまったら、今の日本経済は破綻するだろうがな。一部の人間のしくんだ経済発展ののために誇りを捨てたのだからな・・・