
大リーグボール2号は消える魔球だった。さすがの星一徹も、完全にボールが消えるのを見て驚愕した。オズマは半狂乱だった。ライバルたちは、それでも必ず糸口があるはずだとテレビを食い入るように見ている。
テレビの解説者がいう。「わたしゃ、疲れすぎました!こう現実離れした野球を見せられるとファンも神経がまいってしまうでしょう!」
テレビを見ていた花形はいう
「なにをくだらん弱音を・・・その現実離れを生むまでには、ひとつひとつ、厳しい地味な現実の積み重ねがあった!」
「そして、現実離れの超技をみせてこそ金を取るプロ!それをまた、こんどこそ、この手で打倒して花形満もプロになる!」
その通りである。世の中にさらされるのは、大抵は結果である。結果に至るまでのプロセスは、見えないところにある。また、本物の一流は水面下のプロセスを見せることはない。結果を見た、大衆は、見える部分だけを見て、あーだこーだと噂に忙しい。
人とまねても、本物にはなれない。本物は、まだ形の無いところから、一つ一つ地道に現実を積み重ねて、その結果が形として現れる場合もあるし、どんなに努力をしても形にならないまま消えていく現実もある。一つの形を残したものは、賞賛されるが、いくら努力をしても形にならなかったものは、誰にも知られることなく消えていく。結果としての形を、いくら正確にまねても、それは本物には近づけない。まねるのなら、生き方そのものをまねなければならないし、同じだけの時間を費やす覚悟が必要になる。
関係ない話だが、私が尊敬する空手家 極真会館初代館長 故 大山倍達は「秘技 三角飛び」という技が出来たそうだ。漫画空手バカ一代の中では、渡米中にタム・ライスというボクサー上がりのプロレスラーと戦うとき、三角飛びを使って勝ったことになっている。三角飛びとは、壁に近い位置に立ち、相手に向かって跳び蹴りをするのではなく、壁に向かって飛び、壁を蹴って、その反動で相手を蹴るという技である。相手は一瞬、敵が視界から消え、予想外の方向から蹴りが飛んでくるのでよけることができないという訳だ。そんなバカな、そんなの漫画だろう、現実にできる分けないじゃないか!と言いたくなるでしょ。
そこからが大山のすごいところだ。「そういう人間は、結果しか見ていないからそういうのだ」と。「もし、私が三角飛びをマスターするために費やした時間、その間をずっとビデオテープに録画しておけたとしたら、人はこういうだろう。『こんなに練習すれば、誰だってできるさ』と。」
そういうことだ。人は結果しか見ない。だから、それをまねたり、誹謗中傷したり、あげたり、下げたり・・・忙しいことだ。そんな人の噂や雑音なんかに脇目もふらず、自分の信じたことに向かって、一つずつ現実を積み上げればいい。誰も三角飛びをマスターしなくてはいけないわけではない。自分の生き方を、自分が自信をもって生きられる道をつくることだ。誰のまねをする必要もない、誰とも比較する必要はない。自分の道は自分のもの。自分の可能性を一つずつ、どんなに小さなものであっても一つずつ積んでいけばいい。積んだ分だけ、道になる。