父一徹とオズマに、大リーグボール1号を完璧に打ち崩された飛雄馬。もはや心がおれて、立ち直れない状態だった。心のよりどころを求めて、飛雄馬は生まれ育った長屋に足を運んだ。誰もいるはずのない、その部屋には一徹がいた。一徹は、母の遺影に向かって独り言をつぶやいていた。

「かあさん・・・わしを・・・うらもうな、ゆるすまいな。女親の情としては、このわしの飛雄馬に対するやり方が鬼にも見えような。」

「見えて当然・・・そうよ、もはや、これは父親の愛のムチなどではない!わしは、あいつに負けられん、執念の鬼!」

「一人前に成長した男の子にとって、もっとも身近な先輩の男は父!その先輩が意気地なしではどうする!また父にとっても、むざむざ、この後輩にゆずってみい。それは一人前でなくなること、隠居することを意味する!」

「断固、断じて負けてなろうか、お互いのため!」

 

遺影に向かって語る以上、それは一徹得意の駆け引きなどではなく、本気の本気。それを知った飛雄馬は愕然とする。心の片隅では、本当は愛のムチであってほしい、きっとそうだと信じたかった。しかし、本気で自分には負けまいと向かってくる父。自分をこれまで指導してきた父親に、精神的にも技術的にもとても勝ち目がないと思っている父が、本気で自分に向かってくる。自分より遙かに強い肉体をもった弟子を使って・・・

なんということだ・・勝ち目があるはずがない。そう飛雄馬は闘わずして、負けていたのだ。表面上自立したかに見えても、心の底にある親に対する甘え、あるいは自分は親を越えられないという弱気、意気地のなさ・・・そこを見透かすかのように、その隙間を許さない勢いで父親が立ちふさがる。そして、自立の道を妨げようとする。

自立とはそれほど厳しいものか・・今の時代を生きる我々には考えられない思考回路だ。「まあ、いいじゃないですか。そんなに堅いことをいわずに。もう自分でお金もかせいで、家族ももって一応一人前に社会人としてやっているんだからさ」みたいな甘さがあるな、少なくともわしには。

この論理で言えば、真に自立したならば、もはや決して親の方には向かわない。自分の未来だけを見て生きる、という野生の世界のような厳しさがあるわけだ。子も親もお互いがそれを望まないわな、今の時代は。いくつになっても、世帯は別になっても、自分のことを忘れないで、見捨てないで・・・というあま~い時代だ。

まあ平和ということだ。戦国の世なら、これくらいの厳しさがないと、中途半端に自立した子供は、あっという間に戦場で命を取られるであろう。子が生き延びるために、一点の甘さも許さない。愛深き故の厳しさ・・・それはうらやましくはないが、話としては理解できるし、ドラマチックではある。

最近のドラマを見ろ!美学とか覚悟とかそういうものとは全く無縁だ。弱さ、だらしなさを正当化し、人間ってそういうもんでしょって大衆に同意を求めているようだ。まあ、それはそれでよし、そういうドラマもあってよい。しかし、反対のドラマも必要だろう。人間の生き方は多彩だ。善悪、正邪、そういう二分法では決して語れない、複雑で曖昧なものだ。しかし、それは判断力のある大人が、酒でも飲みながら、人知れず、感情移入しながら見ればよし。子供には、一本筋の通った物語をたくさん、教えてあげたいものだ。成長とともに、それを規範とし、それに対する賛否の思いをめぐらせながら、自分の生き方をつくっていけばいい。何も支柱になるストーリーがなければ、何も基準がなければ、賛成も反対も、賛同も反抗もできないじゃないか。そうなれば、心の魂の成長もなくなってしまう。

頑張れ大人。子供にこびるな。