初恋の人、美奈を喪った失意のどん底からよみがえった飛雄馬。それは大リーグボール1号の復活でもあった。父、一徹は、その知らせを聞いて、涙を流すほど喜びを感じつつも、すでに大リーグボールを完全に葬るための秘密兵器、オズマを鍛え上げていた。その厳しさに驚きを隠せない報道陣は「星投手が血の涙で復活させたに違いないものを、実の父がたたきつぶす。あまりに非情すぎやしませんかねえ」と。

しかし、一徹はためらうことなく言う。

 

「子がひとり歩きをはじめれば、父と子の中は・・・男対男になる!!」

「となれば、負けられぬのは男の宿命。また、おめおめ負けるような男を、子としても父に持ちとうはあるまい!」

 

と言い放ち、絶妙のノックをはじめた。

 

厳しい、とことん厳しい。というより、何を考えているのだかよく分からないくらいだ。幼少期から共に巨人の星を目指した。巨人の星になれと鍛えた。大リーグボール1号だけでも、当面、巨人軍のエースとして君臨できるだろう。それをたたきつぶしてどうする。何を考えているのか。

この何を考えているのか談義になると、これほど話題に事欠かない漫画はない。それゆえ、後年、ギャグマンガだと言われる羽目になるのだ。たとえば、バットに当てるほどのコントロールがあれば、バットなんかに当てなくても、打者がもっとも苦手とするピンポイントに剛速球を投げればいいじゃないか。いくら球質が軽くても、そこなら手がでないから確実に三振か凡打になるだろう。と、現実的な話をしてはいけません。漫画だから。それに、そういうノリでは通用しないように、スキのないライバル、花形、左門、オズマを用意してありますから~残念!(古いか)。

まあ、そんなことはどうでもよいが、子は父を乗り越えてこそ、一人前になるというストーリーは古典的には男の成長には不可欠のテーマだったはずだ。しかし、優しい父親、いつまでも子供をサポートしてあげる父親、自分がしてあげられる内は、何でもやってあげるからねという父親の登場によって、男はみなふぬけになってしまった(わしも例外にもれずだがな)。だから憧れるのかな。男は本能的に、父を乗り越え、苦難を乗り越え、強くなりたいという心のベクトルをもっているからな。それが発揮できない、あるいは、大事にされない時代はどうなんだ。

そんなこというと「また、マッチョですか」と揶揄されるし、評論家の中には「父親が人間くさい、ダメなところを見せた方がいいんだ」というやつも出てくる始末だ。どうせ、年老いてすべての機能が低下したり、病気になれば、いやが上にも弱い部分を露呈し、人のはかなさを見せつけることになる。それまでの短い期間くらい、やせ我慢して、「お父さんは強いんだよ。心配ないぞ」と言ったっていいじゃないか。弱さを何も子供に見せびらかさなくてもいいじゃないか。何で簡単に子供の夢を理想を失墜させなきゃいけないの。青年期を過ぎて大人に近づけば、どうせ、そんなやせ我慢はばれて、子供はそれを知りつつ、今度は自分が強い大人になろうと頑張る、それでいいじゃないか。子供が一人前になるまでくらい、男はやせ我慢して、越えられぬ壁のように立ちふさがり、「一人前になりたかったら、この壁を乗り越えてみい!」って言いたい、それが男の美学だろう。ただ、壁として立ちふさがるのと違って、ただの暴力、大人のわがまま、横暴じゃあ、成長の力にはならんから、気をつけろ。一貫した行動には信念とか美学が必要なんだよ。