カージナルスとの対戦で神経をすり減らし、試合終了とともに意識を失って飛雄馬は入院した。入院中、オズマが尋ねてきて、自分も飛雄馬も「野球ロボット」だと挑発する。しかも、自分は貧困ゆえにカージナルスに買われ、球団にプログラムされたが、飛雄馬はよりによって、実の父親に仕込まれた。そして、子供にそんな思いをさせるひどい父親だと指摘された。

自分はおまえとは違うのだと言えば言うほど、野球以外に何もないことが明白になる。それがきっかけで飛雄馬は、次にオズマにあうときに、見返すために人形から人間になろうと決意する。契約更改では年俸を倍にしなければ契約しないという。人間らしさの最たるものとして、金銭欲、物質欲をあらわにしようとする。

そんな中、正月番組の企画で、花形、左門といっしょに売れっ子芸能人、オーロラ三人娘とのボーリング大会に出場する。芸能人にちやほやされて、鼻の下を伸ばす飛雄馬。そんな飛雄馬の心の隙を、花形も左門も見逃さなかった。

 

花形は思う

「青い水面に美しく優雅に浮かぶ白鳥は、しかし、その水中にかくれた足で絶え間なく水をかいている、けっている。だからこそ、常に美しく優雅に浮かんでいられる。ぼくは、その白鳥であるためにも、星くん・・・君を打つ!」

 

有名な花形のセリフだ。自らを優雅な白鳥にたとえるあたり、さすが花形モータースのボンボンだ。強烈な自己愛だ。

まあ飛雄馬は熱血バカ、左門は貧乏からはい上がるストーリーと、三人三様の強い自己愛をむき出しにする物語だからしょうがない。しかし、どいつも、その自己愛におぼれて人との関係が破綻するわけでもなし、その自己愛を胸に秘めて、社会的には必死で適応しようとしているわけだから健全な自己愛と言えよう。

巨人の星がはやったのは高度成長時代。日本人全体が敗戦と米軍の統治によって、自己愛がぼろぼろになり、もう一度日本人の魂を蘇らせようという自己愛再生の時代の物語だった。今や自己愛どころか、自己と他者との境界が希薄になり、それどころか現実と空想の境界もなくなってしまっている。かつては、その境界線をめぐる葛藤が物語の原動力になっていた。今の空虚な亡霊のような世界のなかで、われわれはどういう物語を再生すればよいのだろうか・・・。

今、巨人の星を懐かしむのは、今の時代には何も役に立たないだろう。それは、その時代を生きた我々が、ともすると時代の大波のなかで見失ってしまいがちな、我々の魂のルーツを再確認するためだ。今こそ、昭和30年代に生まれた人間が自らを律して、世の中の中心として機能していかなければならないのではないか・・そういう思いで、私はこのブログを書き続けることにする。

しかし、なかなか先にすすまないね~。これから、あしたのジョー、タイガーマスク、空手バカ一代と進めなければならないのにな。まあ、根気よく続けよう。