「M資金」 | 意識改革プロジェクトのブログ

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宇宙に無駄な生命は一つも生まれる事が出来ません。
あなたは今回も自分の為に生まれ直しているのではありません。
人として生まれ直している自分の存在の意味と価値と必然性に気づき、皆で共にこの人生での目的であった意識覚醒レベルにステージアップしましょう。

私が今になって個人的にもこの問題に興味を持ったのには、過去の人生において、この存在が絡み、全国の一部の大手から個人事業主達までの経営陣や主権者からの問合せや調査依頼等が重なった時期が在りましたビックリマーク

勿論一般の方が知れる情報では在りませんビックリマーク

いわゆる「M資金」成るものが事実として存在するのか?それともまったくの詐欺或いはデマの類のものが広がっただけのもので在るか?の相談が一時期に別ルートから集まって来た事に在ります

うわさを利用した詐欺が出回っていた事実は直ぐに判明しましたが、明確な不可解さは残り続けていました

結局当時の段階としては、私が知る範囲ではその正体が明確に判明するまでには至りませんでした

当時の情報収集手段に、私個人的にも今日の様なインターネットの情報網からの情報検索作業もしていませんでしたし、特別な情報はたくさん集められ常に抱えていましたが其れまでのアナログ的情報網ルートによる情報収集でした

何よりもインターネットの送受信が、本当に本格的に機能しだしたのは、今だからこそ、進化利用の流れも判るのですが、遂5年前位でしか在りません

世界中全体の利用者が未だに、まともなインターネット利用者に至っていないぐらいです

その中で微妙に、究極は直感が働き何かは判らなくとも、其れまでのコミュニケーションでは体験できなかった、間を抜いたままで個人間直接情報交流が可能であるが為の現場の出来事や変化に対する良い事も悪い事も筒抜け状態で直接つながる体験が暴露や告白と共に表に出てしまう事が、一番大きな人類進化に影響を及ぼすものとなってきました

現在までに世界中で個人から発生している暴露や告白行為は決して良い発想や思いからだけでは在りませんが、ネガティブな目的で有っても事実・真実・実態が齎される情報の中に必ず含まれています

本日のテーマもその事を知る上で非常に役立ちましたし、後からであっても関係情報収集にも役立ちました

正確な裏の流れまでも判明し、過去の当時や自分達が調べていた情報にも多くが関連性を持って繋がり、一連の事実解明にまで到達できて行きます


インターネットに流れた暴露機密書類の写し

皆様にお金の世界の正体を少しでも知っていただく為の過去から存在している、世界上層秘密連携だけで裏で実際に動かし廻されて来た世界国際連携の殆どの人が知らない、主要国のお金の配分に関する契約関係極秘資料コピー!!

全頁の控えが在りますが、一部だけ公開しておきますビックリマーク

極秘契約の控え全14頁の内の1~5
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あらためて今やインターネット情報の情報レベルの急激な意識連携進化も確認できる事と成りました

此れが5年前や10年前ならもっと互いの発信する情報が不正確でレベルの低いものだったでしょう

インターネット情報は、嘘・作り話や撹乱情報が多いのですが、最も事実真実実態を知らせてくれる情報網でも在ります

全員の互いの相乗連鎖による情報レベルが、明らかに其れまでの一般情報手段であるTV・新聞報道の情報レベルよりも遥かに世界の事実真実実態を知らせてくれる情報網に進化しています

今や一般情報手段であるTV・新聞報道の情報は此れまでの嘘の世界を洗脳維持する為の洗脳操作手段のひとつに過ぎないものと成っています

世界中を騙し続ける為に存在している、世界中の政治経済体制



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2009年4月30日 (木)
M資金とCIA
安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)に、1994年10月10日の各紙に報道された記事が紹介されている。
要旨は、米ソ対立の冷戦下の1950~60年代にかけて、CIAから自民党に、数百万ドルの資金援助がなされていた、というものである。
上掲書では、主として朝日新聞の記事から、以下のような内容を取り上げている。
(1)1955年から58年まで、CIAの極東政策の担当者だったA.C.ウルマー・ジュニアが、自民党に資金援助をしていたことを認めた。
(2)1966年~69年に駐日アメリカ大使を務めたジョンソン大使が、69年まで援助が続いていたことを認めた。
(3)1958年7月29日、駐日アメリカ大使だったマッカーサー二世がアメリカ国務省宛に送った手紙に、「佐藤栄作蔵相(当時)が、共産主義と戦うために資金援助が必要だ」と書かれていた。
(4)アメリカの内部文書で、CIAの中に、1958年4月11日に、自民党の選挙資金工作担当の特別グループが作られていたことが発覚した。
上掲書では、この年の6月岸信介政権が発足していることに注意を喚起している。
岸は戦犯で巣鴨プリズンに収容されていたが、東条元首相らが絞首刑になった翌日、釈放されている。
同時に釈放されたのが、児玉誉士夫や笹川良一らである。
岸は、釈放後、親米一辺倒になるが、安田氏は、「弱みを握られたのではないかと疑いたくなるほど」と表現している。
児玉誉士夫が、ロッキード社の秘密代理人であったことを考えると、あながち当てずっぽうの推測ともいえないと思う。
マッカーサー大使が東アジア担当のパーソンズ国務次官補に出した手紙では、佐藤栄作は、1957年にも資金要請をしている、としている。
安田氏は、佐藤栄作が、日米安保条約改定交渉に入ろうとする時期に、このような要請をした背景に、東京湾から引揚げられた金塊の存在があったのではないか、と推測している。
マッカーサー大使は、安部正人という人物に、「水谷の言っていることは正しいが、それを通すと日本国は太平洋に沈んでしまう」と警告している。
マッカーサー大使は、ダグラス・マッカーサー元帥の子供で、忠実なフリーメーソンであり、この金塊がユダヤ機関であるCFR(外交評議会)に極秘に収まって運用されていることを知る立場にあった、としている。
金塊とCFR,ユダヤ機関との関係については、09年2月15日の項、2月23日の項で触れた。
水谷とは、新日本党総裁だった水谷明のことで、「金塊返還同志会」を作って金塊返還運動に最も熱心だった人物である(09年1月16日の項等)。
安部正人とは、マッカーサー元帥に影響力があるとして水谷が紹介された人物で、安部仲麻呂38世として大分県に生まれたとされる人物である。
江戸城明け渡しの西郷・勝階段を斡旋した山岡鉄舟の身内で、インドのガンジーとも親しく、一緒に逮捕されたことがある。
マッカーサー元帥が武官として駐日大使館に勤務していた頃、鉄舟の家に書生として住み込んでいた安部はよく会っていた。
マッカーサー元帥の占領行政のコンサルタントとして活動し、天皇を処刑し、天皇制を廃止しようとしていたマッカーサーを翻意させた人物とされている。
上掲書では、CIAが自民党に資金を出したのは、日本の権力者の当然の要求で、アメリカ政府は答えざるを得なかったのだ、としている。
さらに、アイゼンハワーを大統領にしたのはユダヤ資金の力で、内閣の大半はCFRのメンバーか関係者であり、むしろアメリカ側から資金提供を言い出し、金塊奪取を隠して日本を懐柔するために支払った可能性も考えられる、ともしている。
毎年百万ドルずつ5年間渡したとすれば、当時のレートの360円/ドルで、物価上昇率を10倍とみれば、合計1800億円となり、引揚げた金塊の評価額は不定だが、2200~2300億円という説が妥当な線であり、とすれば反共政権を維持するために、東京湾から揚がった金銀塊をCIAの秘密ルートを使い返済した、という想定が成り立つことになる。
上掲書は、以下のような言葉で締めくくられている。
CIAからの秘密資金はケネディ、フォード政権に至るまで、日本の政権党に渡していたことが、、やがて秘密外交文書の公開やら米国側要人の証言で明るみに出てきた。にもかかわらず国会もマスコミも、間もなく取り上げなくなった。
社会党には旧ソ連共産党からカネが渡っていただけでなく、CIA要員が身分を隠して侵入していた。社会党だけでなく、米諜報機関はあらゆる分野に浸透していたから、下手に突つくと自分の身も危険になるということなのか。あと数十年も経てば、東京湾金塊事件の関係者は老いたり死去したりして、すべての歴史的事件と同様解明されずに消えていくことだろう。