究極の選択に関する論理的考察
です
先日の私のブログ
「私は知っている」
でも取り上げた
日本一有名な究極の選択
カレー味の○○○
VS
○○○味のカレー
(え?まだそれ引っ張る???と思われた皆さん、すいません)
ただ、これがですね
深いんです
そんなわけで
もうちょっとお付き合いください(..;)
先般の私のブログを読んでいただくと分かるのですが
選択をした小学生当時から現在にいたるまで
私は断然
○○○味のカレー
なんです
いやだって
味はともあれカレーですから
そんな私が今
この選択が
まさに究極の選択であることを
実感しているのです
なお、この究極の選択に関して
残念ながら公式なデータはありませんが
ネット等で検索してみると
8割ほどが私と同意見
のようです
たとえ味がカレーであったとしても
○○○を食べることは
人間の尊厳
に関わるから、だと
まさに
おっしゃるとおりです
ただ、
そんな私を含めた8割の皆さんを
これから迷いの世界へいざなってみたいと思います
さてさて論理的考察の開始です
まず科学の粋(すい)を集めて
○○○味のカレーと
カレー味の○○○を
完璧に再現できたとします
それがアナタの目の前に
2つ並んで置かれました
アナタはその前に立っています
アナタはどちらを手に取り
そして食すのでしょうか?
一つ、
ニオイの問題
味が○○○であるということは、
ニオイも当然に○○○であろうということ
味とニオイは一心同体ですから、自明の理です
逆に味がカレーの○○○は
ニオイもカレーであるはずです
温かな香りたつ、○……
これ以上はやめておきます

一つ、
人間の防衛本能の問題
人間には痛い、冷たいなどの
負の感覚があります
そしてその負の感覚は危険等から
身を守るための防衛本能に他なりません
その人間の防衛本能は、
自らが不要なものとして排出した物体を
本能的に受け入れられるのでしょうか?
○○○であると判断した瞬間
拒絶するのではないでしょうか?
そして2つの物体の前に立った人間は
どちらを○○○だと判断するのでしょうか?
最後に一つ、
アイデンティティの問題
ニオイと味がカレーな○○○は、
もはやカレーなのではないか
そして同様に
ニオイも味も○○○なカレーは、
もはや○○○なのではないか
カレーがカレーであることの
○○○が○○○であることの
アイデンティティは
どこにあるのでしょうか?
白馬は馬にあらず
白馬という言葉を「白い」という「色」を表す言葉だとした場合、白馬という言葉は「馬」という一個の物体・生物を表す言葉ではなくなる、というものです
もちろん詭弁です
ただ、それらの物体を眼前に置いたとき
果たして我々は
○○○味のカレーを
「カレーである」と
認めることができるのでしょうか?
その完璧な製造物の製造者であろう人の
「こちらが○○○味のカレーを再現したものです」
という(胡散臭さ満点の)言葉を本当に信じられるのでしょうか?
そして
○○○味のカレーを食すことで
我々の人間としての尊厳は
保たれるのでしょうか?
長文すいません

ダラダラと書き連ねましたが
それでも私が選ぶのは
○○○味のカレーです
多分…
ただ
考える葦
として、
精一杯考察してみました
皆さんはどのように「考察」されますか???
なお、カルボナーラうどんについては……
考察しません

ご静聴ありがとうございました
セト