阪神甲子園球場 | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。

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阪神甲子園球場
開場1924年
集客可能人数47508人
両翼・中堅両翼95メートル、中堅118メートル
フェンス2.6メートル
フィールド内野土、外野人工芝
名前の変遷甲子園大運動場(1924-9年?)
甲子園球場(1929?-64年)
阪神甲子園球場(1964年-現在)
アクセス甲子園駅(阪神本線)から徒歩約5分

(写真は、*1の場合は2020年11月4日のプロ野球セ・リーグ阪神タイガース東京ヤクルトスワローズの試合より。*2の場合は2021年12月19日の甲子園ボウルより)






外観(*2)

言わずと知れた野球の聖地。プロ野球・阪神タイガースの本拠地であり、春夏に行われる高校野球の全国大会の会場として、野球ファンでない人にも広く知られるスタジアムである。

甲子園ができた背景には、大正年間に全国中学優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権の前身。ここでいう「中学」とは旧制中学のことで、現在で言えば高校に相当する)の人気が高まり、多くのお客さんを収容できるスタジアムの必要性が感じられたことがある。阪神電鉄の指揮のもと、1924年3月に起工され、同年8月に竣工されるという、現在では考えられないようなペースで建設が進められた。スタジアムの名前は、開場した年が十干十二支で甲子の年だったことにちなむ。当初は陸上競技や球技も行えるような多目的型スタジアムとして作られたため、両翼110メートル、中堅120メートル、左右中間が128メートルという、巨大なスタジアムだった。開場当初に外壁にツタの種を植え、これが長い年月を経て伸びたこともあり、現在甲子園球場と言えば外壁を覆うツタをイメージする人も少なくないだろう。上の写真からも解るように、現在はスタジアムの内野席側入り口が阪神高速神戸線の道路に隠れており、遠目からだとどういう形をしているのか解りにくい。

上述の通り、もともとは多目的スタジアムとして作られたので、当初の正式名称は「甲子園大運動場」という名前だったが、1929年頃に甲子園球場と改名された。具体的にいつから正式名称が変わったのかは不明瞭なところが多いが、この年には一三塁側のスタンド(通称「アルプススタンド」)を木造土盛りの簡易的なものから鉄筋コンクリート製にし、内野スタンドの上に屋根(通称「銀傘」)をつける工事が始まっている(銀傘工事は1932年に完成)。1932年には地下に室内練習場ができ、1936年には外野スタンドも鉄筋コンクリートになってフェアグラウンドが野球場の形に合わせて改築されるなど、1929年を機に甲子園は多目的スタジアムから野球場へと変化を遂げていっている。当時の日本においては、これだけ設備や集客力を持っているスタジアムは全国規模で見てもほとんどない最先端のものだった。同時にスタジアム周辺に遊園地も作り、スポーツに限らない娯楽施設としての開発が進んだが、この遊園地は2003年に閉場するなど現在は再開発も進んでいる。










上:一塁側アルプススタンド(*1)
中上:三塁側アルプススタンド(*2)
中・中下:外野席(上から*1と*2)
下:バックネット裏(*2)

戦後になると、あまりにも外野が広大すぎてホームランが出ないという問題に対応するべく、両翼91メートル、中堅118メートルの位置に仮のフェンス(通称「ラッキーゾーン」)を作り、1976年には外野フェンスを両翼96メートル、外野118メートルまで縮め、当初の多目的スタジアムの形から野球場に改められた。平成期になると野球選手の技術や身体能力が上昇したこともあり、また野球場の国際基準が両翼100メートル、中堅122メートルと定められたこともあり、ラッキーゾーンは1991年に撤廃された。そのため、現在の規格は両翼95メートル、外野118メートルで、内野土、外野天然芝である。一層式だが、収容可能人数は47508人で、日本の野球場においては最大のキャパを誇る。

もともと全中大会のために作られたため、開場と同時に全国大会の会場となり、戦後は高校野球の聖地としてその伝統は続いている。今では高校野球のことを甲子園と呼ぶ人も少なくない。だが職業野球のスタジアムとしての歴史も長く、1935年に大阪タイガースが誕生すると、戦前期の関西圏での興行は甲子園か1937年にできた西宮阪急スタジアムで行われた。1948年にプロ野球がフランチャイズ制を導入し、甲子園がタイガースのホームスタジアムとなった後には、タイガースが関西圏の象徴のような存在へとなり絶大な人気を誇るようになる。東京の読売ジャイアンツとの対戦が「伝統の一戦」として銘打たれ、両チームのファンの間にライバル意識が芽生えるようになるのも、戦後になってからである。

プロ野球の本拠地スタジアムのほとんどが人工芝で地面が硬いのに対し、内野土・外野天然芝の甲子園はボールのバウンドが吸収されるため、ボールを遠くまで転がすのが人工芝のスタジアムよりも難しい。また、両翼95メートル、中堅118メートルの外野は国際基準よりも狭いが、このスタジアムは左右中間も118メートルと他のスタジアムよりも遠い。「甲子園の外野は広い」と一般的に言われる所以である。さらには、海の近くにあり外野から風が吹くため、外野が狭いように見えて実はかなりホームランが出にくい球場である。普通の球場よりも攻撃側に不利なため、この球場を拠点とするタイガースも、伝統的には投手力やフィールディングを通じて勝つ守備のチームというイメージが強い。

ただ、内野が天然の土でイレギュラーバウンドが多発する上に、外野が広くしかもフライが風にあおられることから外野守備も難しく、エラーで試合の流れが決まるということも多いなど、守る側からして決して楽な球場ではない。「甲子園には魔物が住む」という格言は高校野球の報道でよく使われるが、その魔物はプロをも吞み込むことがある。








上:三塁側外野寄り座席からのグラウンドの眺め(*1)
中上:一塁側内野寄り座席からのグラウンドの眺め(*2)
中下:バックネット裏スコアボード(*1)
下:外野スコアボード(*1)

観戦環境は、試合の見やすさという意味では極めて優秀。日本で一番お客さんの入る野球場でありながら、客席とグラウンドの距離が非常にコンパクトなので、試合のアクションはよく見える。スタンドは傾斜もあるので、後ろの方に座ってもグラウンドが俯瞰で見えるのもいい。また、銀傘がバックネット裏と一三塁側内野寄りの座席にかかっているので、この区画でならば日差しと多少の雨は避けられるだろう。この座席にはカップホルダーもついており椅子は硬いがクッションを持って行けば概ね快適である。

一方、一三塁側外野寄りや外野席は背もたれがなく、また屋根もかかっていない。屋外球場の中ではまだいい方とは言えるが、やはりドーム球場よりも観戦環境が天候に影響されてしまうところはあり、春や秋の寒さや、夏の暑さ・日差しはきついので、天気予報をしっかりと確認した上で、防寒・熱中症・日焼け・水分補給などには万全を期されたい。また、スタンドの傾斜が急でグラウンドが俯瞰で見られる反面、座席の前のレッグスペースは少し狭い。

野球以外のスポーツでは、毎年年末の時期に行われるアメフトの全国大学日本一決定戦「甲子園ボウル」の会場としても知られる。日本のアメフトでは一番伝統のある大会で、この前例から日本ではアメフトの大きな大会を野球場でやる伝統がある。ただ、東京ドーム横浜スタジアムなどで行われる試合でも同様だが、野球場の扇形のグラウンドに長方形のアメフトのフィールドをスタンドにはめこむと、スタンドからはかなり試合が見づらいと言わざるを得ない。このスポーツはボールを隠しながらプレーするという特徴もあるので、スタンドが長方形の陸上競技場や球技場でやってくれた方が試合は断然見やすい。

最寄駅は、阪神本線の甲子園駅で、ここから歩いてすぐ。人気球団で、オーナーが阪神電鉄ということで、スタジアムの目の前に駅があり、特急が止まる。周辺社会の手厚いバックアップのおかげで交通の便は抜群である。スタジアム周辺には大型商業施設もあり、イベントの際には球場内の売店も開くので、食事処には全く困らない。

阪神タイガースは、戦前・戦中期には藤村富美男らを擁して1937年秋季、1938年春季、1944年のリーグ優勝を経験し、戦後間もない時期にも1947年にリーグ優勝。1961年にチーム名が大阪タイガースから阪神タイガースへと改められ、1962年と1964年には村山実、吉田義男らを擁してリーグ優勝を果たしたが、この時には日本シリーズを制することはできなかった。とはいえ、高度経済成長期にスーパースターを数多く擁し、V9を達成するほど時代の寵児となった読売ジャイアンツへの対抗馬として、いつしかタイガースは野球ファンの期待を一身に背負うようになる。これは、関西地域の人々の関東に対する潜在的な対抗意識だけでなく、高度経済成長期の日本の底流にあった反権力の空気を反映していた部分もあり、関西とはあまり縁のない人でもタイガースを応援する人は少なくない。また、そのような事情もあるためその影響力は野球界にもとどまらない。プロ野球屈指と称される熱狂的なファンが集まる様子は一種の名物であり、他の球場にはない独特の雰囲気を作る。応援歌の「六甲おろし」も有名である。

悲願の日本一は、吉田義男が監督を務め、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布らを擁したチームが達成することになる。2000年代には、球界史上随一と言われた久保田智之、ジェフ・ウィリアムズ、藤川球児のリリーフ陣に、金本知憲、赤星憲広、今岡剛らを擁した打線がかみ合い2003年と2005年にリーグ優勝を果たしたが、日本シリーズでの勝利はならなかった。2014年は、リーグ優勝はできなかったにもかかわらずプレーオフを勝ち上がって日本シリーズに進出しているが、このときも日本一は達成できず、久しぶりの栄冠を待ち望むファンも多い。

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