浦和駒場スタジアム | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。

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浦和駒場スタジアム/さいたま市駒場スタジアム
開場1967年
収容可能人数21500人
名称の変遷浦和市駒場サッカー場(1967-82年)
浦和市駒場陸上競技場(1982-95年)
浦和市駒場スタジアム(1995-2001年)
さいたま市駒場スタジアム(2001年-現在)/2012年以降は公称が浦和駒場
スタジアムとなる
アクセス浦和駅(JR宇都宮線・高崎線・湘南新宿ライン、京浜東北線)・北浦和駅(JR
京浜東北線)から徒歩約20分
駒場運動公園入口バス停(国際興業バス浦08、美01系統)
宇宙科学館バス停(国際興業バス浦51系統


写真は、*1となっている場合は2017年6月21日天皇杯の浦和レッズグルージャ盛岡の試合から。*2となっている場合は2019年7月3日の天皇杯の浦和レッズ流通経済大学の試合から。それ以外の場合は明記する。





上:外観(*1)
中:バックスタンドからメインスタンドを臨む(*1)
下:メインスタンドからバックスタンド東側を臨む(*2)

浦和レッドダイヤモンズの創設期を知るサポーターにとって特別な意味を持つチームの聖地。「リーグのお荷物」と揶揄されていた時期からチームやサポーターと艱難辛苦をともにしてきたスタジアムである。

浦和レッズの前身は、東京・メキシコ五輪のサッカー日本代表に横山謙三、片山洋、森孝慈、杉山隆一を送り込み、その後も田口光久、原博実らを代表に送り続けた名門三菱重工業サッカー部である。全盛期を迎えた1960年代後半から80年代前半には、日本リーグ優勝4回、天皇杯優勝4回、リーグカップ優勝2回を経験したチームだが、1980年代に訪れたサッカー界でのプロ化の波に乗り遅れ、1989年には日本リーグ2部降格を経験するなど酸いも甘いも経験しつくしたチームであった。だが、1年で1部リーグに復帰したことから、1993年のJリーグ開幕の際には加盟を認められ、当初は都内をフランチャイズにするつもりだったようだが適当なスタジアムがなかったことからそれを断念し、サッカー人気が高く駒場スタジアムがある浦和をフランチャイズとしてJリーグ開幕を迎えた。

とは言え、プロ化の流れに乗り遅れたこともあってリーグ初期にはリーグ最下層の住人として有名であった。福田正博、岡野雅之、山田暢久らと、ウーベ・バイン、ギド・ブッフバルトらの元ドイツ代表選手を擁して少しずつ順位を上げ、1990年代後半にはようやく上位もうかがえるようになってきたが、そんな矢先の1999年にレッズは2部降格を経験する。だが何とか1年で再昇格し、2002年にはリーグカップ決勝に進出。この試合は敗れたものの、翌2003年は同じ大会で雪辱を果たし、待望の初タイトルを獲得。そして、2004年には、ブッフバルトを監督に招聘し、当時まだ2ステージ制を採用していたJリーグの第2ステージを優勝。この頃にはレッズはすでにリーグ戦のほとんどの試合を埼玉スタジアムで主催するようになっていたが、この年の第2ステージの最終節をレッズは駒場で開催したので、優勝の瞬間をこのスタジアムで迎えている。何故かチームにとって節目の試合をこのスタジアムで迎えることが多かったことから、今も駒場を特別な場所と思うファンは多い。

埼玉には戦前から体育教育の一環でサッカーを教えることに熱心な先生達がいたようで、Jリーグ開幕前から日本では比較的サッカーが盛んな県だった。その影響もあってか、この競技場が1967年に開場した時は、まだ全国的にサッカーがマイナースポーツであった時期だったにもかかわらず5000人収容のサッカー専用の競技場として開場した。ただ、スタジアム運営上、多目的スタジアムの方が収益が見込めるという事から、1982年には陸上トラックをつけて客席も8000人に増築。名前も駒場陸上競技場となった。Jリーグ開幕が決まると、1993年までに10000人、1995年には21500人を収容できるようスタンドを増築して行った。ちなみに、この競技場は開場当初から旧浦和市が管理運営しており、2001年に浦和市・与野市・大宮市が合併してさいたま市になった後には同市に移管された。

だが、この頃にはレッズは現在1試合平均で30000人以上を動員する、日本屈指のプロスポーツチームに成長しており、21500人の競技場では手狭な印象は否めなかった。老朽化も目立ったことから、2002年のワールドカップが終わるとレッズは漸進的に埼玉スタジアムに本拠地を移していった。レッズは、2012年以降は駒場でJリーグ公式戦を原則として主催しない方針を貫いており、天皇杯の試合が1年に1回あるかないかという状況である。ただ、2020年は東京オリンピックのサッカー競技で埼玉スタジアムが使用される予定だったため、7月及び9月の時期にはその準備のために使用できなくなる予定だった時期があったため、その時期のホームゲームが駒場で組まれた。コロナ騒動が起こって大会が翌年に延期されたことから、2021年も7月から9月にかけてのホームゲームで使用された。コロナ騒動下でスポーツイベントの入場者数制限が義務付けられていた時期で、毎試合1万人以下しかお客さんを入れられなかったため、キャパの小さい駒場でも十分回すことができた。

現在の主な用途は、浦和レッズ・レディースやユースのホームゲームや、埼玉の高校生や中学生年代の大会である。これらのカテゴリーでは頻繁に使用されるため、最近の若いサッカーファンには浦和駒場と言えば学生サッカーのイメージが強く、レッズのトップチームが試合をするイメージはあまりないようである。また、毎年国立競技場で開催されていたサッカーの冬の全国大会(インカレ)の決勝戦が、国立競技場が閉鎖された2015年以降は浦和駒場で主催されている。2016年には、関東大学サッカーリーグの試合も開催されるなど、大学サッカーでも徐々に使われるようになっている。

女子サッカーの熱心なファンの間では、浦和駒場スタジアムは浦和レッズ・レディースのホームスタジアムとして知られているところである。このチームの母体は1998年に誕生し、翌年当時のLリーグに参加した埼玉レイナス(2002年からさいたまレイナスに改名)で、2004年にリーグ優勝を達成。翌年レッズ・レディースになると2009年と2011年にもなでしこリーグ優勝を達成しており、ユースやジュニアユースチームからも日本代表選手を数多く輩出している。


2014年12月31日全国高校サッカー選手権1回戦より。

このスタジアムには人工芝のサブグラウンドもあるので、草サッカーで気軽に利用する市民の方々も少なくない。また、陸上競技のトラックは市民の陸上競技愛好家にも一般開放されている(もっとも、この競技場はトラックの高低差が19.5センチあるため、陸上競技の公式戦は開催が許可されていない)。レッズは2012年にこの競技場のネーミングライツを落札し、「浦和駒場スタジアム」と命名。ファンにとってかけがえのない「浦和駒場」の名前は残された。


人工芝のサブグラウンド・レッズハートフルフィールド駒場(*1)

観戦環境については、このスタジアムで試合が最も見易いのはバックスタンドの上層である。バックスタンドは、上層と下層が壁のようにそびえたっていて、上層に座るとピッチが俯瞰で見える。このような造りであれば、陸上競技場でもサッカーの試合は見易い。


バックスタンド上段からの眺め(*1)

ただ、問題はこの区画で試合が見れることが滅多にないということである。浦和レッズレディースやユース、ジュニアユースの試合では、1000人前後の入場がほとんどで、メインスタンドだけで収容できてしまい、バックスタンドは解放されない。高校サッカーの会場になるときはお客さんの数が増えるので、バックスタンドは開けるが、その際にも下層を開けるだけで上層は閉鎖している。現状だと、バックスタンド上段を使うのはレッズのトップチームが試合をするとき。あと、2015年のインカレの決勝の時は上層を開放していなかったが、2016年以降は開けていた。

バックスタンド下層からの眺めはよくない。この区画は、高校サッカーの時は出場校の応援席となり、レッズの試合の時もホームサポーターが多く陣取る場所になるが、ピッチが俯瞰で見えない上に後ろの方に座ると天井が視界に入って邪魔である。スタンド上層が屋根になり、雨が降ってもぬれずに済むというメリットはあるが、それでも観戦環境はよくない。応援団と一緒にいたいならまだしも、そうでないのならばこの区画はあまりお勧めはしない。




上:バックスタンド下層からの眺め。天井で視界が遮られている。2013年11月13日の全国高校サッカー選手権埼玉県大会準決勝2試合のときに取った写真。
下:バックスタンドを埋めるレッズのサポーター(*1)

浦和駒場が会場になるとき、必ず解放されるメインスタンドは、バックスタンド上層と比べて傾斜が緩いので、特に前列の方に座るとピッチが俯瞰で見えず、グラウンドが遠く感じられるかもしれない。メインスタンドは上段に座った方がピッチが俯瞰で見えて試合が見易いうえに、屋根の下に入れるので直射日光や雨が避けられるので、可能であれば上の方に座ることをお勧めする。




メインスタンドからの眺め(両方とも*2)

レッズのトップチームの試合では、バックスタンド北寄りの区画と、その隣にある区画がホームサポーター席として使用される。北側ゴール裏のサポーター席ホームの、南側にはアウェーのサポーター席がある陸上競技場のゴール裏は、トラックのコーナー部分があるので球技専用スタジアムと比べてピッチが遠くなり、試合が見にくくなることは仕方がない。

南側のゴール裏にある区画は、他の場所から切り離されているので、「出島」と呼ばれる。レッズのトップチームの試合だけでなく、レディースの試合でも開放する時がある。レッズのサポーターには、「サポーターはチームを勝たせるために選手達とともに戦うべし」という意識がJリーグ創設当初から根付いており、狭い出島に隔離された上にホームサポーターがアウェーチームに対して容赦のないブーイングを浴びせるので、「浦和駒場ほどアウェー感を感じるスタジアムはない」と言われていた。その名残で、現在レッズが使う埼玉スタジアムでもアウェーサポーター区画は小さいし、そのようなスタジアムの雰囲気は継承されている。

ちなみにこのスタジアム、南側にしかオーロラビジョンがなく、南側の座席に座るとこれが見えなくなるので、アウェーサポーターにとってはこういうところも小憎らしいだろう。とは言え、アウェー感は強くてもよほど挑発的なことをしない限り身の危険を感じることはないはずなので、そのあたりは安心してくれていい。






上:北側ゴール裏。レッズの試合では、左手側の区画と、右手側のバックスタンド北寄りがアウェーサポーター席になる
中:とオーロラビジョン、バックスタンド南寄り、そして「出島」
下:「出島」の拡大図
(全て*2)

2万人強収容可能な陸上競技場なので、同規模の駒沢陸上競技場柏の葉陸上競技場が比較の対象となるが、バックスタンド上層の眺めは、ピッチが見易い陸上競技場として評判がいい駒沢と比べても引けは取らない。だが、それ以外の場所は柏の葉のメインスタンドとあまり変わらず、陸上競技場としては可もなく不可もなくといった感じか。まあ、試合が物凄く見にくいわけではないので、興味のある試合がこのスタジアムで行われるのであれば、躊躇することはないだろう。

アクセスは、埼玉スタジアムよりはいいが、旧浦和市外からだとまだちょっと不便。最寄駅のJR浦和駅に着くまではいいが、そこからまだ歩いて20分ほどかかる。しかも、住宅街の狭い道、しかもアップダウンの多い坂道を歩いていかなければならないため、結構迷って疲れやすい。あまり土地勘がないうちは、駅前からのバス利用をお勧めする(大体10分から15分に1本くらい)。さらに、このスタジアムは周辺にラーメン屋さんとコンビニぐらいしかなく、やや知名度の低い大会では出店がないので少し食事の調達に苦労する。入場料を取るようなレベルの大会であれば大丈夫だが、念のため食事は駅前で調達するのが無難だろう。

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浦和駒場スタジアムについての紹介(浦和レッドダイヤモンズ公式ホームページより)