今日は朝から晴れ。我が家の二階から遠くの山を見ると白いものがみえる。雪が降ったのだろう。

昨日は我々の支部とこのはな支部合同でのパターゴルフ大会を行った。インフルエンザがはやっているのか当日になって我々の支部からの参加者は人数が半減、5名の参加となったが、全体では20数名が参加、楽しく和気あいあいでプレーした。
12時くらいには終了し、食事をして別れました。

午後は何かとバタバタ、ゆっくりとはできなかった。



今日の読売、赤旗に載っていた記事。人為的なミスによる?汚染水タンクからの高濃度の汚染水100トンが赤外に流れ出たというものであった。

それも、バルブの閉め忘れによるものらしく、点検作業のマニュアルらしきものもなかったらしいから恐れ入る。
こんな電力会社が原発を扱うこと自体、また、再稼働申請すること自体が間違っているし、政府は申請を取り下げさせるべきではないのか。



さて、村上氏の講演会の話に戻る。

福島原発事故はなぜ起きたのかの話であるが、一言でいうならば、「何の根拠もないが技術先行による科学的精神の欠如がもたらした自惚れと過信。国に対して何も言えない国民性」にあるようだ。


まず、国策の下で強権的権力集団(原子力ムラ)が形成されたこと。

東電の93年の報告書に「我が国の原発は世界的に見て高い安全性を確保している。過酷事故が起こることは考えられない。」とある。

完全なる安全神話ということだろうが、そのために原発事故想定の中で「仮想事故」という項目があるというが「仮想だから対応する必要はない」とした。

米ソで起きても日本では起きないという自惚れ。アメリカから技術移転してそのまま使用しているのにである。

目先の利益優先で原理原則や基準を軽視する社会的特質(日本の原発はすべて異常立地である。とくに、東海、浜岡、若狭の集中立地)がある。

原子炉安全設計指針、防災指針の中に「長時間の電源喪失は考慮する必要なし。原子力施設は多重防護、放射性物質の広範な漏洩の可能性は低い」とも書かれている。

国策だから地方に発言権はないとして口をつぐんでしまう首長が多い。

あまりに、技術先行に突き進み、科学する精神が忘れられてしまっている。不都合なことはすべて想定外にする。

ことを挙げていた。


そして、黒川国会事故調査委員長の序文

「福島原発事故の根本原因は日本文化、日本的慣習に根差したもの」「権威に異を唱えない体質、集団主義、島国根性にある。日本人がこの内容を理解できるか」

を紹介。



今後の進むべき道としては

「国策に対して異議申し立てをしている脱原発運動は民権運動であり、地方自治、地方主権意識と根底において連動している。
いまこそ、地方の価値の再評価、地方復権を目指すべきである。「成長・発展・開発」は地方の文化・経済を衰退させていった。

原発は他の産業を根絶やしにする疫病神である。脱原発で地域経済はどうなるは問題設定に誤りがある。原発立地自治体は1720分の22でしかない。「脱原発で雇用と財源はどうなる」と言っても22自治体しかない」と。


いまこそ、「エネルギー大量消費社会から自然共生社会へ」「経済的成果のみを求めず社会的価値、文化的価値を」
「省エネ、新エネ推進派地方自治体の得意分野であり、地方はエネルギー自立政策確立、電力独占体制の解体を目指すべき」と

提言している。また、「脱原発とは脱成長でもある」とも。



安倍首相は原発新基準は世界で最も厳しい基準で安全である等と標榜しているが、元の基準にアメリカ原子力規制委員会やIAEAなどから指摘されていた事項の一部を追加しただけであり、事故原因が究明されていないのに安全であると言える訳がないとも。