こんにちは

「音楽大好き♪」を育てる

安城市池浦町

スタッカートピアノ教室

杉山幸代ですニコニコ飛び出すハート

 

 

久しぶりにモロッコ料理「クスクス」を作って食べました。

 

 

 

私は24歳から26歳までの2年間

青年海外協力隊員として

モロッコに派遣されていました。

 

モロッコ北部のFES(フェズ)という町のコンセルバトアール(音楽学校)で

現地の生徒約70名ほどのピアノレッスンをするという活動をしていました。

 

 

 

今でもその経験は大きな財産だし、

私の性格を作っているのはモロッコの

神が導いてくれるさ!何とかなるさ!

イスラム教の

「インシャッラー」の精神も影響あるのかも?

 

 

 

モロッコは普通学校には

音楽の授業が存在しないため

希望する生徒がお金を払ってコンセルバトアールに通うのですが

 

お金をわざわざ払うわけなので

お金持ちの生徒が多かったです。

 

それでも「家に楽器があります。」というので

お家に行き見せてもらえば

壊れたキーボードだったり

88鍵盤ないサイズのものばかり。

 

中にはピアノを習っているのに

家にキーボードすら持っていない子も。

 

 

70名以上の生徒がいてアップライトピアノを持っていたのは2名程度だった気がします。

 

そんなだから当然お家練習は難しく、

週1回のレッスンはほとんど

「コムサ」

(フランス語でこんな感じで弾いて)ばかり連発して生徒さんには見様見真似で教本を弾かせていました。

 

 

楽器も家にない、練習もしない。

どう弾かせろっていうのよ!!

 

当時は大学を出て1年楽器店で働いただけの身。

 

教え方も未熟だったと振り返れば思う。

 

年に1度ある実技試験にも楽譜通りに弾かせることに精一杯で

ピアノの楽しさとかあまり上手に伝えられずだった気がするな~真顔

 

 

今なら上手く弾けないならあの手、この手と柔軟に対応できるだろうし

楽器がないならこの練習しておいでー!

 

って言える事たくさんあるよな~。

 

夏は50度近くいく酷暑のモロッコ

反して冬は暖房もなく石畳みの床からの底冷えで民族衣装のジュラバで過ごしていました。

 

 

 

 

それでも週1回のレッスンを楽しみにしてくれていた生徒さんたち。

言葉もたどたどしいフランス語の日本人の若造を

「マドマゼールさちプロフェッサー」と慕ってくれ


保護者さまも

ホームシックになって寂しくないか?

ちゃんと食べてるか?と家に招待してご馳走してくれたり本当によくしてくれたんです飛び出すハート

 

今もSNSを通して近況を知らせてくれたり。

そんなのが嬉しくてたまらないルンルン

 

みんな当たり前だけど20年経ち

大人になって結婚してお母さんになっていたり、

中には立派にお医者さんになったり

建築家になってたりするんですよね。

 

 

教室のJICAが入れてくれたアップライトピアノでレッスン。

最後のレッスンで写真を取りメッセージを書いてもらったものは大事な宝物。

 

一緒に写る彼女は今お医者さまになりました。グッ

 

 

 

 

 

 

クスクスを食べると思い出すモロッコの日々。

 

また戻りたいな~

 

 

 

 

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