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すた・ばにら

2019/11/29にYahoo!ブログ「すた・ばにら」より移植処理しました。

夢の細胞と持て囃されたSTAP細胞の雲行きが怪しくなり、連日のようにニュース記事で賑わっている。論文の信頼性に問題があるらしい。

マスコミの伝えることには限界がある。とりわけ期待が多かっただけに失望が大きく、ややもすれば関係者や諸々の問題を暴露するような論調も目立つ。


STAP細胞 「心からおわびする」小保方リーダー、論文撤回の意向

本件に関しては知見がまったくない。それ故にここではこの問題については触れず、むしろこの事件に接して思い出した別の2つの出来事について述べたい。

一つはSTAP細胞の行く末と似た感じがあり、当初”画期的な発見だ”とみなされたものの最終的に誤りだと決定づけられたものである。去年か一昨年だったか、光よりも高速度で伝達する”何か”の存在を仄めかす結果が得られたというニュースがあった。海外からもたらされた情報だったと思う。数ヶ月くらいかなりの騒動になったものの、最終的には数値の誤りは測定法や機器のノイズ等によるものであり、誤りであったとして撤回されたと思う。マスコミの興味と同じで、私自身もうそれがいつの事件だったかも思い出せない。即ち、誤りと判明した後は一気に関心が収束し、ニュースとして取り上げられなくなって私たちの記憶から葬り去られた。

もう一つ、これは前の例とは異なり、当初は論文に致命的な疵があったものが克服され、最終的に”真である”ことが確かめられ華々しい結果を導き出した事件である。Andrew John Wiles によるフェルマーの最終定理(FLT)の証明である。
FLTは内容的にとてもシンプルな整数に関する予想で、きわめて多くの数学者からアマチュアまでが挑戦し、その殆どが頓挫させられたことで有名である。
ある解説書で読んだところによると、Wilesは証明の論文を提出した当初は真に証明できたと確信していた。実際、殆どすべてに関して正しかったのだが、ごく小さな”疵”があるらしかった。しかも哀しいことにその疵は容易には取り除けなかった。彼ももそのことを認め、確か論文は彼自身により撤回されたと思う。
 
そこへ至るまでの段階で既にマスコミが「世紀の未解決問題が遂に証明さる!」の論調で伝えられていたので、証明の不備が指摘されたとき、今まで数多の数学者とが味わわされた挫折と共に「やはりダメだったか…」に傾きかけていた。
 
その後、彼はこの疵を取り除くべく再証明を構成し、提出した。この論文は相当数の研究者によって慎重に査読され、真に疵を持たない証明であることが決定した。その瞬間、約300年にわたってフェルマーの最終「定理」と誤って呼ばれていた未解決問題は、真にフェルマーの最終定理となったのであった。
表舞台には出ないがこの証明の下地造りとして日本人数学者の構成した成果が極めて大きな役割を果たしたことはもっと大きく語られて良いと思う

生物学と数学では、取り組む対象が本質的に違う。方や実際に観察可能な対象であり、他方は人間の造り出した概念である。しかしいずれも私のような門外漢には、それを正しく理解するには基礎的知識と証明の構成法など大変に長いプロセスを要する点では共通している。実際、これらのニュースが一般向けに伝えられようとしたときも、配信社各社は説明にかなり苦労していたようだ。

一連の事件は、マスコミに取り上げられニュースになることで殆ど初めて一般人の目に触れるところとなる。それ以前から研究者が活動しているのは言うまでもないことなのだが、その過程が伝えられることは殆どない。99%以上は表に出ることなく孤独な闘いを日々行っているのだろう。特に数学は抽象の学問なので「それが証明できたからと言って一体何の役に立つのか?」という目で見られやすい。一つの問題に固着し、何としてでもねじ伏せて(証明して)みせるというのは、一般人には想像を絶する精神の闘いである。

何かの書籍で取り上げられていた言葉を思い出した。

「精神の戦いは、ときに人間同士の闘い以上に酷たらしい。」

さて、今の日本および世界でも、ある”宿敵”に対して日々精神の闘いを挑んでいる数学者や研究者は居るのだろうか。
古典的で有名な未解決問題は今でも山ほどある。しかし最近、そのいずれも解決は元より一定の成果が得られたという話を聞かない。あるいはマスコミ自身の伝える努力不足によるものなのだろうか。
 
最初の件に戻れば、いっときは画期的な発見といわれたSTAP細胞の行方は未だ分からない。第三者による検証で再現性が得られないなら、疑義を差し挟まれるのは致し方ない。しかし本件の諸々の問題はさておいたとしても、この事件によって研究者の「追求する姿勢」が萎えてしまうことを一番恐れる。捏造や虚偽は排除されるべきだが、”見つかった!”や”出来た!”が実は勘違いや誤謬を排除する手順に漏れがあったというなら、それは人の成せる所作である。
 
結局のところ、STAP細胞は勘違いで元から存在しなかった…となるなら、それでいい。また一から始めれば良いではないか。その努力の積み重ねで次にはきっと、はじめに想定していたものよりも更に優れた成果が得られるだろうから。追求する姿勢を諦めてはいけない。
以下の機能は、すべてPC上で操作した場合の話である。モバイルでは見え方が違うとか、まったく別の挙動を示す事例があるかも知れない。
 
(1) トモダチのアクティビティーを逐一TLに列挙する機能
 
前置きしておくことに、この機能自体はきわめて重要である。およそFBが友達を介しての繋がりを重視しているなら、新しい投稿があったとかコメントを書いたなどを簡単にチェックできなければ不便だ。
FBでは友達関係にある利用者の投稿などをまとめて一ヶ所に集めて自動通知する項目がある。その中には、いくら自動通知とは言っても「そんな情報を通知することに何の意味があるの?」と思わざるを得ない過剰なお節介機能が目立つ。
 
その代表格が、自分の友達が他の人とトモダチ関係になった旨を通知する機能だ。
 
「○○さんと××さんが友達になりました。」
 
はぁ?だから何?
○○さんは自分の友達だから、
俺も××さんに友達申請しろよってこと?
 
不要な情報だから放置すればいいのだが、自分の複数の友達が多くの人とトモダチになると目も当てられない。忽ちチェックリストは「トモダチになりました、トモダチになりました」で埋められる。要らないと思うなら一応非表示にはできる。しかしその場限りで、次に再び同ページを開くとまた表示されているのである。
あまりにしつこいので「報告する」の操作をしたこともあった。すると、トモダチの発信したどの情報に問題がありますかとか、スパムとして報告しますか等の項目を問われる。
 
「だから…そうじゃないって。
友達が新たなトモダチを造ることには何の問題もないんだよ。
いちいち通知するFBのお節介機能をどうにかしろって言ってんの」
 
”利用者が必要と思う情報だけをTLに列挙できる”というのがTwitterからの流れと思っていたんだが…この要らないと言うか邪魔なだけの情報を押し付けるFBは、まったくしょうもないことで利用者に疎まれている。
 
(2) 赤の他人なのに「友達になる」ボタンと共に列挙する機能
 
鬱陶しい機能の代表格だ。しかしあろうことか、つい昨日か一昨日のことFBはこの機能を「増強」してしまった。PC版の方はお気づきのことだろう。TLの最上部に「知り合いかも?」と表示したトモダチでない候補者3名のプロフィール写真が拡大表示になった。そして写真の下にはお約束の「友達になる」ボタンが添えられている。
 
まったく余計なことをしてくれたものだ。プロフィール写真が拡大表示になった分、必要な情報が下へ押しやられ、自分のTLを見るにも余計な下スクロールが必要になった。FBには「TLはリソースである」の概念がないらしい。
 
理解していない利用者が殆どだが、FBでは基本的に実生活で面識のない人に友達申請してはならないことになっている。そのことはFBのヘルプにきちんと記載されている。その裏で見ず知らずの人と無秩序に友達となることを推進するFBの仕様は、私にはまったく理解できない。”友達のトモダチは当然トモダチであるべきだ”という前提にたった仕様も同然で、これは「世界は一家、人類は兄弟」を地で行く空恐ろしさである。
 
最近、FBというツールのコンセプトは日本人の生活習慣や思考形式になじまないのではないかと思いはじめている。FBは、情報を迅速かつ強力に伝播させることができる点では紛れもなく秀逸だが、下手をすると本当にそれだけのツールだ。
 
あるメディアは、FBの情報伝達速度や形態を伝染病になぞらえた。少なくとも私自身は”感染症の存在”を認識し、ある程度の免疫を獲得した。FBが利用者の意向に沿った次の方向性を提示しなければ、本当に利用者から”感染を拡げるだけのツール”とみなされ、10代ならずとも利用者の流出を引き起こしてしまうかも知れない。
以下の機能は、すべてPC上で操作した場合の話である。モバイルでは見え方が違うとか、まったく別の挙動を示す事例があるかも知れない。
 
(1) 発言をカテゴリ分類する機能 / カテゴリ単位でフォローする機能
 
実のところ、この機能が欲しいなどと問題にするのは、いくつかのジャンルに跨る情報をTLで受信・発信したい利用者に限定される。「私はあなたというお人柄に興味があって、あなたの話は何でも聞いていたい」って方にとっては不要な機能だ。しかし実際問題そのような人は配偶者や恋人くらいのもので、自分があまり必要としない情報、興味のない情報も必ず含まれるものだ。
 
それでもリアルで会い、友達関係を締結した人なら興味のない話がたまにTLへ流れて来ても不快感は殆どない。読むだけで「いいね!」を言わなかったりお座なりに「いいね!」だけ言ったり、あるいは本文を読まないでいることができる。問題なのは、興味がないだけではなく耳に入れたくない情報を発信してくる場合である。
 
私は基本的にローカルネタ重視で発信しているが、ニュース記事のシェアや教育観も投稿する。しかしそれらはハッキリ言ってまるっきり読まれていない。FBは時間軸で動いており、読まれなかった書き込みはすぐ過去へ流れ二度と誰も読むことはない。そういう情報を発信するのは時間と労力の無駄である。
無駄になるだけならまだしも、その情報が欲しいかも知れない人には届かず、こんな情報要らないって思っている友達のTLには必ず載ってしまう。現状のシステムではこのような齟齬が不可避な以上、現時点で締結された友達関係の中で「受けのいい話題」だけ発信するようになる。
そしてこの問題こそがいわゆる「FB疲れ」が起きる原因だ
 
同種の現象は、私以外の多くの利用者で散見される。趣味の情報を発信したときには数十人もの友達から「いいね!」を言ってもらいながら、政治ネタになると途端に水を打ったようにしーんと静まりかえる。当然「いいね!」は殆ど言われない。これはフォロワーから次のような暗黙の声が寄せられていると解釈される:
 
「私はあなたの趣味の話だけ聞きたいのであって、
政治の話を聞かされるのは真っ平ご免だ!」
 
FBがこの問題に対処できないのも、利用者をすべて「人」で扱っており、「情報の種別」で送受信する方法をサポートしていないからだ。もしこれがYahoo!ブログのカテゴリ分類のように発言を分類可能で、フォロアーや友達がカテゴリ単位で情報選択できるなら、趣味の話だけをTLに取り込み政治談義を遠ざけておくことができるのである。聞きたくもない話がTLにうじゃうじゃ流れるのは、私ならずとも不快に思うところであろう。何故なら、何度も唱えるように「TLはリソースである」からだ。FBはこの重要な概念を欠いているように思われる。
 
この改訂はシステム的に難しいこととは思えない。その簡単なことをFBは未だにやろうとしない。恐らくTwitterでも実現されておらず、Twitterの機能を拡張する形でそのままFBに情報列挙機能だけを盛り込んだからだろう。
 
(2) フォローされた相手に閲覧レベルを設定する機能
 
(1) の機能の必要性を唱えれば、自ずから (2) も理解できるだろう。
FBは実名主義を取っており、同一人物が異なるアカウントを運用するのを認めていない。したがって仕事もプライベートもなく、いっしょくたに情報発信せざるを得ない環境になっている。
仕事から離れてオフな自分を友達に見せたくても、上司の監視から逃れるには上司自身の友達レベルを下げるか、閲覧対象から外す個別操作が要る。逆に業務情報は上司には必要でも友達には鬱陶しいだけだろう。
 
このような場合にも発言をカテゴリ分類できるなら、業務関係・オフの自分などを切り分けて閲覧できる範囲を変えられる。未だ友達関係にないフォロアーにも発信できるかも知れない。現状では、友達関係にないフォロアーに情報を見せるにはその書き込みを全体公開にする以外ない。そうするとフォロアーでない他の人まで閲覧が及んでしまう。現在の機能では、フォローのメリットが殆ど享受されない。
 
この点について、Twitterは承認システムで近いところまで機能実現している。即ち「あなたの情報を見せてください」という申請をしてきたフォロアーを承認すれば、つぶやきを全体公開にすることなく情報を伝えることができる。この選択機能はFBにも必要だ。
 
ただしFBの場合、閲覧可能範囲を決めるのはフォロアーの申請によるのではなく情報を発信する側である。フォロアーがどんな情報を求めているかは職業やTLの書き込みで推測できるから、関連しそうなカテゴリの情報だけは友達関係ではなくとも閲覧可能な設定にできた方が双方にとってメリットがあるだろう。
最近、すっかりYahoo!ブログがご無沙汰状態になっている。ネット上のドキュメント制作の9割以上をホームページ関連に割り当て、残り1割をFacebook(以下FBと略記)の情報更新に費やしているのが原因である。
その残り1割のFBも自前で運営しているページの情報発信が主で、あとは自分のタイムライン(TL)へコアネタの速報版などを流すとか、たまに日常生活ネタを書く程度である。こまめにTLを更新し、トモダチの書き込みに素早く「いいね!」と反応するなどの活発な利用を否定はしないが、少なくとも自分はそこまでどっぷり入り浸ろうとは全然思わない。その理由はかなり明白で、即ち「面白くない」からだ。

面白くない理由はいくつかある。TLを流れる情報の量や質とか、操作性の問題とか、即応性などなど…それらは利用者によって誰もが異なるので一般的なことは言いづらい。しかし、FBというシステムそのものは完全に共通である。PCやモバイルで見え方の違いは若干あるものの、誰もが同じ土俵に乗っている。

その「共通する部分」でこういう機能があれば良いのに備わってないとか、こんな機能など要らない…という多くの意見があるなら、利用者の声を元に改訂すれば快適な環境に変わり得る。ところが実際のFB運営者は声を聞く気がないのか、聞いてはいるものの対応を迷っているのか分からない。議論の次元を上げるなら、運営元が今後FBをどういうツールに熟成させたいのか理念が見えない。
この点も含めて個人的にはFBはいわゆるSNSの部類に入らないと考えている

以下、まずは「欲しいのに備わっていない機能」を列挙しよう。

(1) 発言をカテゴリ分類する機能 / カテゴリ単位でフォローする機能
(2) フォローされた相手に閲覧レベルを設定する機能


それから「要らないのになくならない機能」も同様に列挙する。

(1) トモダチのアクティビティーを逐一TLに列挙する機能
(2) 赤の他人なのに「友達になる」ボタンと共に列挙する機能


少しでもFBを使ったことのある方なら、どの機能のことかは察しが付くだろう。書けば長くなるだろうから、これらが「何故必要なのか?」「何故要らないのか?」については後続の記事で詳しく書くことにする。
久し振りに記事でも書いてみますかな。
最近はFBとホームページばかりなんだけど、このネタをFBに書いたらまた疑心暗鬼を生む原因になりかねないので。
言うまでもなくどなたか特定の方を意図している等ということはありませんので

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LINEというツールがあります。名前を知っているだけで私は使っていないし、今のところは使う予定もありません。案外、自分の意向に沿った強力なツールかも知れないのですが、今は記事制作に忙しく、これ以上自分の時間を取られるものに手を出すわけにはいかないので。

LINEに対するイメージは、正直私の中では良くありません。そもそもアッチの国の人々が開発したツールって話があり、それだけでもうセキュリティー大丈夫なのだろうかって思ってしまいます。ましてここ最近あがってくるニュースときたら、ざっと読むだけでもう「気持ち悪い」と思えてくるものが目立ちます。

その代表格が例えばこのニュース記事です。

“既読スルー”ってご存じ? LINEの“既読”機能が生む悩みと回避ワザ

既読スルーは、早い話「相手が書いたものを読むだけで何も反応しない」という態度で、およそ想像される通りユーザーからは否定的なとらえ方をされています。大抵は「残念だけどまあしょうがない(ネットとはそういうものだ)」という考え方ですが、中には「冷たい」「トモダチ甲斐がない」「言語道断だ」なんて意見もあるようです。

永くネットに関わり、他のサービスを利用したことのある方なら、ピンと来るものがある筈です:「またあの問題か…」

そう、あの問題なのです。
mixiの読み逃げ。(あしあとだけ着けて何も反応しない)

mixiの場合、記事を読んだという証拠(あしあと)が残ってしまうのが諸悪の根源とみなされ、利用者の声を受けて「あしあと」機能を利用者サイドでコントロールできるよう改定された経緯があります。すると今度はあしあとを頼りにしていた利用者が「これじゃあ、私の気になるあのヒトが記事を読んでくれたかどうか分からないわ」みたいなことになり、結局すべてのユーザーを納得させることが出来ないまま現在に至っています。

早い話、LINEという新しいツールでまた古い同じ問題が蒸し返されている状況です。「あしあと」に対応する既読マークが出てしまうのを避けるために、ステルス状態で記事だけ読もうとする裏技ってことです。

mixiのときでも「あしあとは必要だ」「必要ない」に二分され答が出なかったのですから、LINEも同じ顛末を辿るのは明白です。既読マークに軽く対処する人と、神経質になってコントロールしたいって人に分かれるでしょう。だからLINEの仕様で既読マークをどのように扱うことになっても、賛否両論分かれると思います。

むしろ問題なのは、どうして自分の記事が読まれたか、そしてトモダチからの反応を気にするのかという点です。コメントなどがなければ、伝わる情報は「(取りあえず)表示させた」という一点のみです。書いた記事に興味があったのかつまらないのかはもちろん、ちゃんと読んだかどうかさえ伝わりません。

LINEの場合はある程度の親密度を持ったコミュニティーですから、多くの場合、記事の書き手はトモダチの反応を期待しています。コメントがなければ「見た」しか伝わらず、往々にして書き手が期待する反応とのギャップが生じます。しかも不十分な情報しか与えられなかった環境では、多くの人が悪い方に傾いて考えがちです。私の書いた記事がよっぽどつまらなかった、あの人は私に関心を持ってくれていない、もうどうでもいいんだ、等々…

そんな不十分な情報しか物理的に伝わりようがないネットオンリーの世界で、あの人はどうとかこうとか…妄想もいいところです。そんな儚いものに心血を注ぎ一喜一憂するなんて、私に言わせればまったく愚かしいことです。あなたのネット上のトモダチは、あなたが考えているほどあなたのことを大事には思っていません。大抵の場合、単なる生活の一部で、ほんの暇潰しくらいにしか考えていないものです。

だから私自身、別の記事でも書いているのですが、ネット上限定のトモダチなんて儚い消耗品です。よりハッキリ冷たく言えば、使い捨て同然の存在です。あくまでも「トモダチ」であって、絶対に「友達」ではない…何故なら、望む望まないにかかわらず、その関係は「アカウント停止」という、たった一つの操作で繋がっていた手は容易に離れ、相互が広大なネットの海に放り出されてしまうからです。

しかもそうなった原因は殆どの場合、永遠に分かりません。あなたがトモダチを激怒させるに足りる地雷を踏んでしまったからか、それとも単に相手がログインパスワードを失念し、どうしても思い出せないので放置しているからか…私はそんな儚い土台の上に成り立つ人間関係に心血を注ぐ人々の気持ちがまったく理解できません。偉大なる時間の無駄と思っています。

人間、本人同士会ってなんぼのもの…どうしても手を離したくない相手なら、普通はちゃんとリアルで対面し、脳内イメージにある姿と本人の実像が一致することを自身の目で確かめるものです。この過程を経て「トモダチ」が真に「友達」となると信じています。
このことは、ネット上の軽いトモダチ関係を否定するものではありません。ネット上オンリーの場合なら、残念かも知れないけどいつ相互の手が離れることになってもいいや…と思える程度の関係を構築するのがお互い幸せと言えるでしょう。
disり系ネタなので、あちらで書かずここで書きます。「地元の事なのに批判する積もりか?」と問われれば、遺憾ながら「はい、そうです」と答えます。正しいか否かの問題ではなく、人それぞれの受け止め方において「私はこう思う」ということです。妨害工作を謀っているなどと否定的な受け止め方をなさらないようお願いします。

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うちの市に限らず、全国何処の自治体でも地元興しに躍起になっている。知恵を絞り、様々なアイデアを出し合うことで斬新な企画が生まれ、それが起爆剤になる可能性を秘めている。そのこと自体は大いに推奨するし、私自身、今後地方が中央を頼らず独立してやっていける鍵はそこにしかないと考えている。

巷では「くまモン」が大ブレークしている。いわゆる「ゆるキャラ」で、彦根のひこにゃん、奈良のせんとくんを嚆矢として全国さまざまなキャラクタが誕生している。そのどれもが評判になり、未だ衰える気配はない。実際、くまモンが誕生したのはゆるキャラの中でも後発でありながら、くまモンブランドの商品は今や本家だけでなく全国的に拡がり、高く評価されている。

この流れを見て「ゆるキャラブームはまだ続く、まだまだ行ける」と考える向きもあるだろう。個人的にはもう些か食傷気味なのだが、現にくまモンの事例があるから、大方の意見は「まだまだ行ける」なのだろう。

さて、うちの市は他の自治体にもありがちな衰退期を経験したアーケード街を抱えている。すぐに分かるからここでは特に名前を出さない。アーケード街は2つあり、一つは最悪期を脱して盛り返している。人通りは結構あるし、8割方の店が営業している。一頃に比べて確かに活気が戻りつつある。

他方、もう一つのアーケード街は遺憾ながら「今も救い難いほど酷い状況」だ。営業している店舗が少なく、殆どが長期に閉店・撤収したシャッター通りである。
写真は3年前の撮影だが現在も状況はそれほど変わっていない

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この傍目にも酷い方のアーケード街で、このたびある企画が提示された。「あなたの考えたゆるキャラでアーケード街を救おう!」と銘打って、イメージキャラクタ(ゆるキャラ)のデザインや名称を募集する、というものである。FBで私のTLにも募集に関する情報が流れてきた。

実を言うと最初にその企画を聞いただけでかなり脱力してしまった。それはゆるキャラに関して食傷気味であるという私の個人的な反応なのだが、これに追い打ちを掛けたのは、募集のされ方だった。
プロ・アマを問わず誰でも応募できるものの、この種の公募にはありがちなことに提出された作品は返却しない応募の費用は自己負担でお願いしたい、提出された作品の著作権は企画者に帰属する…というものだった。報酬はもちろんない。ただ、応募して採用された暁には考案者の名前かペンネームが出るというだけだ。

素直にこう思った。

一体、どんな人が応募するんだろう…
誰がこの企画を考えたんだろう…

やることが如何にもお役所仕事だ。募集要項を見る限り、ゆるキャラ人気があるから募集元は何もしなくても大勢の人が応募してくれるだろう…という考えが透けて見える。そのことをさて措いても、私があのアーケード街の状況を正しく把握しているという仮定で、率直にこう言いたい:

やるべきことの優先順位が間違っている。

この企画で晴れて一つのゆるキャラが誕生するとしよう。さて、そのキャラを使って一体、どうやってアーケード街を活性化すると言うのだろうか。現状8割方のお店がシャッターを下ろしているのに、ゆるキャラだけ擁して何をするのだろう?

必要なのは「8割方のお店が存在しないシャッター通りとなっている」現実を正視し、どうすべきか考えることではないだろうか?


私が知らないだけで、シャッターで閉鎖された殆どの店舗に新たなオーナーが入ることが既に確定しており、あとは人の流れさえ作れば良い…という状況までなっているのなら、今までの批判は当を得ておらず撤回する。ゆるキャラの助けを借りて活性化を推進するというのなら、私も大いに賛同したい。

しかし現状とてもそうなるとは思えない。上の写真は3年前だが、このアーケード街は先週も自転車で通った。実際殆ど何も変わっていない。相変わらずシャッター通りだし、一部の店舗のシャッターはスプレーのマーキングで荒らされている。既に店舗自体が解かれ、更地になってアーケードが歯抜けになっている場所もある。
このような状況だから、私は世代交代を待って一旦アーケード街を全撤去し区画整理を行うのだろう…と想像していた。大方の他の市民も同じ筈だ。実際、このアーケード街の北西側は平成期の土地区画整理で一新されている。

アーケード街のシャッター通りが今後どうなるか殆どの市民は把握していないのに、ゆるキャラだけ先行して誕生させるのは、如何にも順序が違う。必要なのは、まずあのアーケード街復興のシナリオを市民に広く提示することだ。その道筋も明確でないままにゆるキャラを募集するのは、人気に便乗して市民に無償でアイデアを拠出させる地域興しに名を借りた欺瞞である。ましてこのアーケード街の場合、今回が初めてではない。以前、商標問題で一悶着あり、メディアが寄って集ってニュース記事で全国配信し晒された経緯があるのを忘れていない筈だ。

今の状況だと、鳴り物入りでゆるキャラが誕生し名前を与えられ、その時は大いに盛り上がるが、それっきりで終わり…となる公算が強い。後が続かない…続くわけがないだろう。
その理由は「アーケード街とは一体何をしに行く場所なのか?」を考えれば答は自ずから明らかだ。もっともシャッター通り状態を容認したまま、全体をアミューズメント通路のように改造するというのなら話は別だが…
Yahoo!ブログの保存容量を2.0GBから2.5GBに拡大したようです。

「ブログの容量を2.5GBにしました」
http://blogs.yahoo.co.jp/y_j_blog/33054456.html

特段の制約もなく容量のみを拡大する措置なので、ユーザーにとってはメリットであるだけに今のところ公式ブログの記事では歓迎するコメントが目立ちます。
来春には更に容量を拡大することも示唆されています。25GBとか無制限という案が考えられそうですが、その場合さすがに無償というわけにはいかないかも。

ただ、現状をみるに分かりづらい点が若干あります。

(1) 現在、自分がどれだけの容量を使っているのか確認できない。
(2) ブログの容量が何を指すのか明確でない。(画像のみかテキストや書式情報も含むのか)

特に(1)は、他のユーザーも指摘しています。画像をたくさん貼り付ける利用者にとってはいつ満杯になって「これ以上投稿できません。不要な画像を削除してください」のようなメッセージが出るのだろうと不安材料かも知れません。

しかし適正にリサイズした画像を掲載するなら、殆どの場合容量の上限超過を心配する必要はない筈です。

現在、ホームページ用の画像ストレージに SkyDriveを利用しています。既に700近い記事に平均20枚の画像(リサイズしない原典画像を含む)を埋め込んでいる状態で使用容量はまだ2.1GBです。だからよほど原典画像を大量に掲載し続けない限り、2.0GB上限に達することは稀でしょう。むしろ2.0GB制限が危うくなる使い方をしている利用者なら、2.5GBに拡大された程度では満杯状態が少し先に伸びただけで、あまり効果はないかも知れないと思います。

来春以降、保存領域の上限が更に5~25GB程度まで拡大されるとすれば、大量の画像を日々掲載し続けているYahoo!ブロガーの中には、利用料を払ってでも利用したい人が居るかも知れません。
もし保存領域の拡大に合わせて部分的に有償制を導入するなら、その折りにはぜひプレミアムユーザーはバナー表示の対象外にすることも検討して欲しいと思います。容量は拡大しなくて構わないから、利用料を払ってでも広告を非表示にしたいユーザーは多い筈なので。
換言すればYahoo!ブログのバナー広告ってそれほど嫌われているんですが…
目標体重へ到達し、カロリー過剰摂取に注意しているとは言っても、甘いパンなどはそこそこ食べています。
相変わらずチョコレートやクリーム系のパンは好きですが、実のところあんパンは滅多に買いません。つぶあん系を買うなら、パンとのコラボではなく桜餅とかおはぎで食べたいので。

ところが最近のこと、見たこともないタイプと思われるあんパンを陳列棚に見つけ、殆ど衝動買いしてしまいました。

これが実物です。
お断りしておきますが、作為的なことはいっさいしていません。本当に売られていたときのままの状態です。

イメージ 1


最初、これを陳列棚に見つけたとき、思わず

うぉおぉおぉおおーーーーっ!!

…って、なっちゃいました。

一体、どんな味のパン?

イメージ 2


冷静になればすぐ分かるけど、最初見たときは「みそ汁の具に最適なあの二枚貝が入っているあんパン」と思ったんです。

まったくの偶然なんだろうけど、

値札を貼る位置が絶妙に過ぎた。

で、気付いた後にもこれほどお客の目を留まらせたということで、あんパン好きでもないのに買ってしまいました。だって、ブログネタになるやんか…^^;

さて、実際に食べてみたところ…

普通のあんパンだった。

イメージ 3


上に黒ごまが乗って、中身は薄味系なつぶあん入り。
確かにあさりした味でした♪

あっちで書いたら、無関係な人を巻き込んで傷つけてしまうかも知れないので、こちらで書きます。もっとも、元から特定の人を意図した意見ではありませんので…

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長いことネットをやっていると、いろんな事例を見聞して経験値が増していきます。多くの人の興味を惹いたり、大量の賛同を獲得したり、逆にわざと嫌悪感を抱かれるような事をしでかすには何をすれば良いかは、先駆者(反面教師的な事例も含めて)のしたことを慎重に観察すれば分かります。
この仮定で殆どの人は、ネット上の顔が見えない事実を隠れ蓑にした「仮面を被った善意」の存在に気付きます。絶対数は決して多くはないのですが、以前書いたこの記事のような事例です。

『人生最後のお願いを聞いて頂けますか?』だってさw

何度もこのような事例に接してくれば、たとえ悪意がなかったとしても、この種の詐欺メールに近い内容をもつコンテンツには、自然と拒絶反応を示すようになります。ストレートに信じることができず、必ず何か裏がある…という見方に傾きます。

Facebook(以下FBと略記)をやっていると、設定によってはタイムライン(TL)に怪しいネタのようなシェア記事が流れてきます。それがまた面白いほど判で押したようにパターンが決まっています。ペットの可愛い写真だとか、人を勇気づける感動的な話とか、お涙頂戴的な実話だとか…そして最後に「お約束の文言」が添えられているのです。

前もって断りますが、それらシェア記事のすべてが悪と言っているのではありません。素晴らしい話に接して友達にも教えてあげたいという気持ちが働くのは自然です。その「自然である」という一般大衆の心理を知れば、これを道具に使ってビジネスを展開させてやろう…という考えを起こす人もいるでしょう。許容できるのはここまでです。悪辣な業者は、記事に「釣り餌」を仕掛けておき、シェアで広範囲に拡散され閲覧者が増えることで、確率的に獲物がかかってくるのを待ち受けています。

その中で一つの判定材料とせざるを得ないかも知れないのが、FBの場合において末尾に添えられているこの「お約束の言葉」です:

「シェアお願いしますね。」

少なくとも私は、どんな素晴らしい内容の投稿でも末尾にこの一言が添えてあったら、良くて話は3割引き、悪くて発信者は信頼できない人と思うし、最悪では語られている内容は作り話で、単にアクセス稼ぎが目的と考えます。それほど素晴らしい話なら、シェアを呼びかけなくても口コミで拡がるのが自然です。シェアを呼びかける理由がありません。

じゃあ、何故に「シェアお願いしますね」なんて書くのか…と考えます。「いい話で広く人に教えてあげたいと思ったから」と考えるのはネット性善説に基づく考え方です。それが望ましい姿ですが、事実は生憎そうではありません。往々にしてその裏にスケベ心があります。いい話を広範囲に教えてあげることで注目されたい、人気者になりたいという気持ちは誰にも少なからずあるし、それはスケベ心とも言えない肯定されるべき動機です。


しかし、いい話を拡げるというのがお題目で、注目される事によってアクセスを得たい、ページビューを沢山稼ぎたい、そうしてアフィリエイトでお小遣い稼ぎしたい…となるなら、それこそがスケベ心です。これは悪辣な業者がやっていること - 手段を選ばず多くの利用者にクリックさせて罠にかかる確率を上げること - の予備軍的な発想と手段です。

個人的にはシェアされた記事でも、読んだ上で共感できればいいね!を言います。しかし上のような事情があるので、長々と書かれた物語の末尾に「シェアお願いします」があれば、どんな感動話も半分以下に割り引きます。もちろん決して「いいね!」しません。いいと思わないものにいいね!する筈もなく、これは殆どのFBユーザーに共通する事実です。
更に言えば私はネット上に転がっている安っぽいどんな感動話も信用しない…信頼できる人が語ったことならともかく何処の誰が書いたかも分からない出来すぎた話を何で素直に信用できるのだろう…作られた感動なら私には必要ありません

最近は末尾にシェア願いを伴う記事の書き出しや内容の特徴が分かったので、TL(タイムライン)に載せてくれた方には申し訳ないんですが、端からまったく読んでいません。あまりに多くて鬱陶しいと思ったら、フォローを外してTLに挙がらないように設定し直しています。TLは私にとっては有限なリソースなので。

この振る舞いは極端かも知れませんが、最近ではどうかすると公的機関にも関係する発信情報ですら、シェアを推奨する文言がくっついていてウンザリさせられます。傍目にもそんなにアクセス稼いで何になるんだろうと思うと滑稽だし、一歩間違えばチェーンメールと同次元です。まあ、何でも初期のうちは「やった者勝ち」だから、問題が起きない今のうちにやっておいた方が…という考え方も可能ですが。

もっと極端な例になると、劈頭いきなり【拡散希望】と書かれていたりします。ここまで来ると、もう形振り構わないという必死さが見えてきます。特にバカ発見機としてあまりにも有名なTwitterで目立ち、FBでも最近結構見かけます。

Twitter限定で言えば、私が当初から「先生!こんなバカな生徒が居ます!」という密告に擬えているRT(ReTweet)機能があります。RTのすべてが悪というわけではありませんが、RT専門ユーザーの大半は、自分の意見は一切言わず、「おい。こんな事言ってる奴がいるけど、これってどうよ?」と、一般大衆に向かって燃料投下するしか能がないゆとりです。何故RTだけ反復するかと言うと、答は簡単で、自分の言葉で語る能力を持たないからです。いわゆる「RT(リツイート)バカ」で、このRT機能の乱用(しかもRTを非表示にできないという救い難い仕様の不備)がTwitterを「馬鹿発見機」に貶めています。

Twitterは今やゴミ捨て場同然に利用しているので、正直どうでもいいです。だけどFBの拡散希望やシェアお願いは、いい加減堪えて欲しい。本当にシェアに値する記事なら焦って拡げようとする理由がないし、万が一、シェア元の記事がスパムだったら、あなたのやっている行為はチェーンメール伝播の荷担です。拡散を広く呼びかける投稿はそれによって若干拡散速度と範囲が拡がるものの、多用すれば信頼性は却って落ちるだけと思います。

…と書いて、この記事の末尾に「トラックバックお願いします」なんて書いたらギャグだねw

8月1日より、訪問者数の多いブログにTポイントを進呈するサービスが開始されました。ランキング上位のブログより、1~100ポイントの間で付与するそうです。

「Yahoo!ブログからのポイント進呈について」
http://blogs.yahoo.co.jp/y_j_blog/32990486.html

ある条件にあてはまったならポイントを提供しますというサービスなので、普通に考えるなら何も悪いサービスではないように思えます。新たな負担を求めるものではないし、操作性を悪くするYahoo!お得意の改悪でもないし…

そうでありながら、公式ブログの案内記事を見ると…
まあ、ブロガーから寄せられた批判コメントの多いこと。評価しますという意見が殆どなく、俺には関係ない、Tポイント要らない、上位の自作自演ブロガーにしかメリットがないなどなど…
この中でまともに考慮すべき余地のある意見は最後のものくらい。ポイントがもらえない僻みだろうかというコメントで埋まっています。実際、Yahoo!公式ブログではどんな有益な発表があっても、必ず難癖を付けられる流れが定着しています。

こんなことになるのも今に始まったことではなく、Yahoo!って会社が何につけても元から利用者の苦情や要望に対して真摯に向き合う態度を放棄し、ゴリ押し的に改定を進めてきたからです。過去のことでも忘れておらず、やったことをみんなちゃんと覚えているんですよね。ここって利用者からの意見を吸い上げない会社だと。

まず、Tポイントを付与するという考えが何処から出てきたかと言うと、推測ですが9月末でYahoo!ウェブオーバーセンターとアドパートナーからのポイント付与を廃止する代償のように思われます。

「アドバートナー サービス提供終了のお知らせ

http://blogs.yahoo.co.jp/y_j_blog/32877418.html


元々は比較的緩い該当要件でポイントが付与されていたサービスを全廃するわけですから、別のサービスを提供して利用者の不満を和らげようという考えがあったのかも知れません。ところが新サービスにより元々非採算部門であるYahoo!ブログが余計に業績の足を引っ張ってはまずいので、以前より払い出しポイントが少なくなる仕組みに変えたんじゃないかと…

利用条件はそのままでポイントが得にくい改定が敷かれれば、どうしても一部の利用者からは不満が出るでしょう。しかし最初にも書いた通り、元々がYahoo!ブログは無償で誰でも利用できるサービスです。一斉に批判コメントを寄せなければならない程の問題とは思えません。ブログというものは他の人との交流や書きたいことのメモ、記録を目的にするもので、ポイント獲得をモチベーションに積極利用するまではいいとして、獲得オンリーの目的でブログを利用するのは邪道というものです。

したがって「考慮すべき余地のある意見」として書いたごく一部のポイント荒稼ぎブロガーについては、Yahoo!が真に公平を期したいと考えているなら真摯に対処すべき問題と思います。「内容のあるブログで読者の信頼を勝ち取り、結果としてアクセスが後からついてきた」なら誰もが納得するでしょうが、ポイント稼ぎが目的の連中は、まずそんなタルいことはやりません。(敢えて言えばその能力すらない
アクセス数を稼ぐために、往々にして他のブロガーが不快を覚え、迷惑に感じることを平然と継続します。無作為に他のブログをクリックして訪問者履歴に足跡だけつけるとか、それもプロフィール・ネーム部分をわざと目立つプロパガンダに書き換えてみたりとか…まあその程度です。

幸い、そのようなブログは仁義を尊ぶ他の利用者によって「通報」されているようです。後はYahoo!ブログの対処の仕方次第です。誰の目にも異常な利用を継続している一部の事例に対処せず放置するなら、相変わらず声を聞かない部署だ…だけならまだしも、最悪の場合は運営元との「馴れ合い」を疑われます。即ち、実はアクセス稼ぎブロガーはYahoo!ブログ担当部署とつるんでいて、条件を満たすよう誘導しTポイントが優先的に付与されるよう便宜をはかってやっていた…という疑惑の目で見られるということです。

そのようなことを言うのも、Yahoo!ではありませんが過去に他社のあるサービスで内部関係者がつるんで、身内の利用者へ優先的に景品が渡るような不正が行われた報告例を聞いているから[1]です。それが直接の原因かは分かりませんが、当該サービスは閉鎖されています。まあ、こういう利用者を愚弄した不正が発覚すれば、どんな秀逸なサービスでも普通に閉鎖へ追い込まれるでしょう。

最初に戻れば、Tポイント付与の件は、個人的には全然問題ではありません。既に溜めているポイントを引き剥がし、アクセス稼ぎブロガーに貢ぐような改悪をするなら黙っていませんが、そうでなければどうでもいいです。1ポイント1円の価値もないのにブログを間接的手段に使ってカネ儲けとか、かったるくてやってられないし(笑)

最近はYahoo!ブログは自分用のメモ書きか、まあ読んでもらっても差し支えないかなと思える情報の記録目的です。誰かがお金払ってでも欲しがりそうな情報は書かないし、過去に書いていたら削除しています。
アクセス数が多いのは、注目されるブログだからではなく単純に記事数が多いからです。アクセスの9割以上が検索ヒットによる訪問でしょう。検索によるヒットは一時的な閲覧者であって継続的読者ではないので、自分としては読者を横目に見ながらの記事造り…なんて愚かなことをしなくて済む分だけとっても楽です。

たかがTポイントです。もらっても邪魔にはならない位に考えて、今まで通り各ブロガーのやりたいように使っていくのが一番でしょう。

出典および追記:

[1] 当該サービスで行われていた不正操作について告発するサイトが有志によって公開されていた。今調べてみたが該当する告発サイトは閉鎖されていた。しかし相応な期間公開されていたので知る人は少なくない筈である。私もそこの情報を得た上で不正を確信し、活動を停止するに至っている。