「大盧舎那仏」
~現代の大仏建立へ~
1.聖武天皇 大仏造顕の詔
朕が天皇として国土の果てまで受けるよう計れるが、いまこの国を見るに、み仏の法恩においては、天下のもの一切が浴しているとは思われない。
朕は真実、仏法僧(三宝)の威光と霊力に頼って、天地ともに安泰となり、万代までの幸せを願う事業を行って、草、木、動物、生きとし生けるもの悉く栄えんことを望むものである。
そこで、朕は人々を導く仏道の修行者(菩薩)として、盧舎那仏の金銅像一体をお造りする大願を発する。(中略)
この事業が成就したならば、朕も衆生も、皆同じように仏の功徳を蒙り、ともに仏道の悟りの境地へと至ることができよう。
天下の富は天皇である朕のもとへと集約される。天下に号令する権威は天皇である朕に在る。
けれども、天皇としての富と権力によって、この尊像を造っては、成就への道は平らかだろうが、大願は果たされまい。
また徒に民に労苦を強いてはこの事業の神聖な意義は失われよう。あるいはこの事業そのものが憎しみを産み罪を作り出すことがあってはならない。
従って、この事業に参加する者は心からの至誠を持って大きな幸いを招くよう廬舎那仏を敬い、自らの意思で造立に従事するように。
もし更に、一枝の草や一握りの土であっても捧げて、造立の助けたらんことを願う者があれば、その望み通りに受け入れよう。
(続日本紀 天平十五年 冬十月十五日 紫香楽宮にて)
2.三大勧進
大仏造顕の詔が発せられてから1271年。今私たちが奈良の大仏様を拝顔できるのには、数多くの人々の信仰と努力がありました。
その中でも、勧進を通じ、大仏様の意味を伝え、造立(再建)する功徳を説いて回った三人の僧がおりました。
その一人目が行基菩薩です。
行基は日本最初の大僧正であり、聖武天皇より勧進役を仰せつかる前から、寺や橋、溜池、布施屋などの社会事業に従事し、民衆より菩薩と称されていました。
勧進役に任ぜられた時にはすでに76歳の高齢で、まさに命がけの勧進行を成し、大仏が完成するのを見ることなく82歳でなくなりました。
二人目は重源上人です。
源平の時代(1180年)、平家の焼き討ちにより崩れ落ちた大仏様を再建され、続いて大仏殿、南大門、回廊と実に61歳から83歳の22年間、そのすべてを大仏様の再建に尽力されました。
三人目は公慶上人です。
戦国時代(1567年)、松永久秀の焼き討ちにより焼失し、小規模の修復しかされていなかったものを、120年後(1686年)、路地の隅々にまで勧進し、再建を果たしました。
今私たちが見ることのできる大仏様と大仏殿はこの時のものです。
3.現代の大仏建立へ
今、私たちは大盧舎那仏にして、大宇宙の根本仏本仏である主エル・カンターレの御慈悲のもと、各地に、精舎、支部、幸福の科学学園を建立し、そのすべてにエル・カンターレ像を賜り、布教所にもエル・カンターレ像を賜るという奇跡をいただきました。
そして、現在、人類に希望の未来を開くため、HSU(幸福の科学大学)が開学され、2016年の聖地エル・カンターレ生誕館と大エル・カンターレ仏の建立に向け努力精進しております。
これは、前述した三大勧進役の使命の数万倍の値打ちを持つものであり、まさに、現代の大仏建立であるとの自覚が必要であると感じております。
ぜひ、力を合わせ、先の勧進役、大仏建立時代の信仰者に負けることなく、偉大なる使命を果たしてまいりましょう。合掌。
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「将来は、東大寺の大仏、毘盧遮那仏のような、巨大なエル・カンターレ像が建って、信仰を象徴するものになるでしょう。
そうならなければ信仰形態としては完結しないはずですから、おそらく、そのようになると思います。
私の在世中はないかと思いますが、もしかしたら、信者のみなさんが頑張るかもしれません。」
(「信仰と本尊について」より)
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福知山支部通信「夢の扉」より