渇き、悲鳴、再録3 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。


  渇き、悲鳴、再録3
  
 
 
  序
 
自らの信仰を暴き
すなわち十字架を倒し
墓を掘り起こし
死地を招き
振り返ったものすべてを否定し
背教の命題と
血の反証を繰り返し
繰り返し
我に問い
かかる実験の後にも
否むことのできない像
拒むことのできない絆
それだけを
信仰と呼ぶ
 
 
  呪いの丘
 
晴れた日の光をいっぱいに浴びて
洗礼を受けたばかりの若者が
翌日落雷に打たれて死んだ
しばらくは指が動いていたという
つり上がった目が空をにらんでいたという
 
彼が死んだその丘は
その後長きにわたって呪いの丘とされ
ある者は悪魔を恐れるように神を恐れ
ある者は笑いながら
あるいは泣きながら歩み去った
 
人々は
その事件について口にするのをはばかり
最初たてられた十字架は
何者かによって倒された
 
誰も訪れることのない
その丘に
血まみれのキリストだけが
息もたえだえに祈りを捧げている
 
 
 
  渇き
 https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12578530959.html
 
 
カラコロチリンと
グラスの中の氷が奏でるように
乾ききった手に雫を運んで
顔も見ないままに
私たちは狭い風穴を共にした
 
噛み合わないシナプスで
血液の味を免疫に高めるのに
静止画の乾いた表面で
動画のピクセルを節約する拙筆が
支離を閉じようと短絡し
取り残された玩具の
ヒョレアの座標を集めては
籠る狂気の微睡む限界を超えようと
やたら草色や肉色を集めようとした
 
命の懐に絆を確かめようと
幾つもの唖然と沈黙を
塗っては乾かしてみるけれども
ほどよく設えた春の夜に
少なくともそう呼んだ時間に
スリットを抜ける光の誤差を
罅割れそうな器に
語らうように
魂の欠片をよそっていた
 
ここだけの反乱は抵抗にもなり得ないで
青白い光子の掠め去る暗闇に
ひとつひとつの屈折を
グラスの濡れた咽喉の非対称が描くものに
私たちは息を潜めるしかない
 
 
※ 漢字の勉強しました。
 
奏でる(かなでる)
雫(しずく、滴)
風穴(かざあな、ふうけつ)
玩具(がんぐ、おもちゃ)
ヒョレア=舞踏病
籠る(こもる)
微睡む(まどろむ)
懐(ふところ)
絆(きずな)
設える(しつらえる)
罅割れる(ひびわれる)
欠片(かけら)
掠める(かすめる)
咽喉(のど、いんこう)
潜める(ひそめる)
 
 
 
  うばわれて
 
てんは にぶつを あたえず
てんは いちぶつを あたえて
てんは いちぶつを うばっていく
むねんの こころ いかばかり
ないても
いかっても
もどってこない
 
てんは かえりみて あわれみ
なごりのようなものを のこす
 
きづいた ひとだけが
きずを しり
いやされる ことを しる
うばわれて
うばわれて
なにも なくなっていく
ときの なかで
ふりそそぐ ものを うけられる
 
 
 
  悲鳴
 https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12536806142.html
 
 
いつからか
私の目の前には
いつも悲鳴が鳴り響いているようだ
 
それは通り過ぎるときに
刃物のように何かを
切り裂いてゆくようなのだが
紙のように何か
切り裂かれているようでもある
 
飛び散るものが音も声も
さらに引き裂いてゆくようで
 
耳を塞いでも聞こえてきて
眼を閉じても見えてくるのに
一度も正体を見せないのだ
 
私はそこに
自分の泣き顔を
置いてみたくなることがあったけれど
それは一度も
乗せてはくれない
 
とても冷たくて
なのに
血のように熱して
しぶきのように
閉塞の壁にぶち当たっては
そこから行方知れずなのだ
 
夕焼けだろうか
それは一度も
消息など告げてはいないのだったが
 
いつの日からか
曲線の
細くふるえて
声が声であることを否みながら
この世で最も激しく
沈黙のように打ち消しあって
 
私は耳を塞いで
首を激しく振りながら
なぜか大きく口を開けようとしている
 
 
       
                仰ぐ 叫び
 
 
(2017年)(2019年)
(2020年)(2021年)
(2022年11月11日、再録+加筆)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 

★こも楽山/楽山日記3
@komo266
「>なにか行動を起こす上では、なにか「目的・目標」があるはずだと。その事です。」
話はズレるかもしれませんが、この考え方はやばい臭いがします。
「人生には目的がある」「あなたには尊い使命がある」という教えに染まりすぎです。
午前7:13 · 2021年11月9日
https://twitter.com/komo266/status/1457833782396948480

 
楽山には「人生には目的がある」が、やばい臭いだそうです。楽山は、目的もなく生きているのでしょうか。夢~妄想で、身にそぐわない教祖願望を望んでも、叶えられそうにないからでしょうか。人をだましてばかりで、本当の自分を見失っているからでしょうか。
 
「あなたには尊い使命がある」・・「染まりすぎ」なのではなく、楽山のように、無反省、無責任、無学習では、望むこと自体が、おこがましいのです。楽山は、病質によって、書いても書いても、人を目覚めさせるどころか、人の役には立たず、迷惑ばかり掛けているのです。
 
楽山は、短く呟いても、自己愛性人格障害の我欲によって、中身が自己中になるだけでなく、言葉遣いも成長せずに、雑になり、弾力性も創造性も、欠けてゆくのでしょう。短文に詰め込もうとして、勢いだけになり、ズレた書き方になっています。
 
短い文章さえ、言葉が全か無の雑な短絡になり、教えや使命を信じるな・・みたいな姑息になって、質の問題を、「染まりすぎ」などという程度の問題にして、まとめてしまいます。言葉を使うのが面倒になると、焦点が定まらなくなります。
 
「染まりすぎ」と言って、"染まる" ということについて、肯定してしまい、豪語の一面性や欠点を暴けなくなっています。楽山のように、言葉を疎かにして、訂正不能に生きていると、言葉がメインなのに、乱暴な短絡表現が増えてゆくという例になります。
 
 

★こも楽山/楽山日記3
@komo266
こういう理想の背景には、メサイアコンプレックスというものがあるともいいます。
自己肯定感の乏しい人が、人のために尽くすことで、自分には存在価値があると確認、満足しようとする心理らしい。
午前6:56 · 2021年11月9日
https://twitter.com/komo266/status/1457829348254183429

 
「(ネットより)
 
 メサイアコンプレックス、メシアコンプレックス:
 
救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である[1]。狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める。
 
自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生するとされる。さらにこの状況が深まると、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。
 
このような論理になるのは、幸せな人は不幸な人を助けて当然という考えを自らに課す事で「自分は幸せである、なぜなら人を助けるような立場にいるから」と考えられるからである。本来は人を援助するその源として、まず自らが充足した状況になることが必要であるが、この考えは原因と結果を逆転させている。
 
そうした動機による行動は自己満足であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。また相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である[2]。 
 
メサイアコンプレックス
 」
 
まさに、楽山の、教祖願望に、よく当てはまることです。人のことを言って、あるいは、人に言ってるつもりで、自分を表してしまう例でしょう。楽山の実際は、人に迷惑ばかり掛けているのです。自分が上という意識で、批評したり、アドバイスすることのマニアになっているのが、楽山です。
 
楽山の批評やアドバイスを真に受けてはいけません。人に意見していますと見せかけているだけです。自己満足の部屋から、無責任に、何の役にも立たないことを言ってみても、他者の立場に立って考えたり、自己を見つめることがないので、独り笑って籠の中をうろついているだけなのです。
 
楽山の本質は、自己肯定が成り立たない人生であり、その分、嘘吐きのカルト教祖と変わりがないのです。誰も聞いていなくても、上から見下ろして、ああだこうだと言うが、実は、ああでもないこうでもない戯れ言であり、聞いている仮想の聴衆を想定するだけで満悦するのでしょう。
 
読んでみると、自己愛性人格障害のエゴのために、まとまらない自己中の独り言でしかありません。短い文章がそうだから、長い記事になると、詭弁と自己正当化だけが支離滅裂に、胡散臭さを放つだけの、それこそ、自己満足からのお邪魔虫に過ぎないのです。
 
 
 
 楽山日記へのコメント欄、抜粋再録
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて
 自分 正さなくちゃいけない」
「それが出来て 初めて人間だと
 それ出来ないなら 人ではないと」
「嘘ばかり 重ねる君よ
 保身だけの 卑怯者の君よ
 そんな君は 魅力の欠片もないのに」
「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は
 最大限の償いと 最大限の反省と共に
 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら
 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、
これを実践するのは難しいんだよなあ。
恥ずかしながら、自分もそんな風です。
これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山の、邪悪な性根の根深さが表れています。「人間の性」などではなく、楽山固有の悪と罪と偽善です。一つ一つ批判して、性根を暴いて、否定してゆくしかありません。楽山は、人間として生きることが、ずっと出来ないままなのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html