生存権について | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

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キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。

    「生存権について」

国家は国民の生存権を守るために存在し、
そのためのみに存在する。
 
生存権を守ろうとしない国家なら、
愛する必要はない。
愛国心は元々国が間違っているときに、
それを批判する精神を含む。
 
生存権とは:
(1)生物学的生存権
(2)存在権:尊厳を持って生きる権利
(3)生活権:生き甲斐・目的などを持って生きる権利
「尊厳」「生き甲斐」「目的」などは個人によって違うので
国家が直接与えられるものではない。
国家が守るべきものは(1)~(3)を可能にするために必要な
経済的また制度的基盤である。
 
生存権が、上記の(1)~(3)であり、
(2)と(3)のように個人によって多様であるのだから、
独裁政治の「逆らわなければ食わしてやる」といったものは、
言うまでもないが、生存権を守ることにはならない。
 

生存権について前に書き込んだこと:
「生存権を守れずして何が国家か
と前に書きました。私は
この権利に特にこだわっています。
生存権:(1)生物学的生存権
(2)存在権:尊厳を持って生きる権利
(3)生活権:目的や生き甲斐を持って
  生きられる権利
理想としてではなく実際に
生存権を守れるか
という観点から具体的に考えてみると、
ある程度、様々な主義主張の
無理や嘘も見えてくるような気もします。
国家は組織だから
生き甲斐を直接与えることは出来ない。
しかし(1)~(3)の土台を作ることが
国家というものの根本ではないのか。
自由・人権・内政・外交あらゆるものが
生存権に関わっており、
生存権が前提である。私は
国というものの根本を
そこから考えて見たいと思うのだが、
はぁ・・・(嘆息)。
国が強制力のみによるのであれば
財源が・・・財源が・・・
ということになる。
福祉のための献金など(福祉献金制度)
自主的なものを考えれば
国民、特に富裕者の大半が
善人で博愛精神に満ちていなければならない。
たとい無駄であっても、試しに
その精神性を問うてみる政治家は現れないのかと、
甘くてユートピアだなぁという気持ちとともに、
一縷の、そして恐らく最後の、人類への期待を
人類の存続に託してみたいわけであります。
そして、その結果、今のところ、どの主義主張も信頼できず、
どれにも与(くみ)することが出来ないという現状です。」
 

金持ちの中にも社会に貢献したいという
気持ちを持っている人はいるだろうと思う。
もしいなければ話は終わりである。
 
でも金持ちの中には貧乏人と直接
関わりたくない人がいるだろうと思う。
卑しい人で変に依存されたら困るとか・・・だろうか。
卑しいから貧乏になるのか、
貧乏だから卑しくなるのか・・・
恐らく、私は、後者が多いだろうと思うし、それよりも
貧乏でも卑しくない人が多いと思っている。
 
この国をどうしたいですか :
桁外れの金持ちと底なしの貧乏人が同居していて
心のすさんだ人が多くなり
自殺と人殺しが多くて治安も悪くなって
身を守るために自警団が必要になりそうな国ですか。
全体を改善するためには
大義のためには
弱者の犠牲は止むを得ないと考える国ですか。
 
目指すべきなのは、私が考えるに、
貧乏人がいなくなる社会ではなく、
貧乏人が元気でいられる社会です。
 
幸福になるための最低限の土台として
先ず衣食住とお金と
相談できる人間関係のある社会を
実現する方向性を持ち、
そのために具体的に努力している国と社会です。