本書をきくしかで扱ってきて、15夜からのつながりで言えば、最後までただっち先生はただっち先生だったな、と思います(笑)。一般論にしたがるし、抽象的に語りたがる。お前はどんな体験をしてきて、いまどう感じてる、がない、薄いなあ、というのが、これまでのところも、この最終回に関しても、自分に対する「客観的」批判です。


対話。継続したコミュニケーションでもあるし、何度も「出会いなおし」があるものなんだ、ということだと思います。19夜でしのさんが言っていたように、どれだけ長く連れ添ってても、けんかもしますし。

今この瞬間が、後には戻れないものだ、という話。ただっちの愛の告白なのか、それとも、巻き込みやがったな、なのか(笑)。

あとは、ケアするただっちとしては、ケアという概念ですかねー。
もちろん、仕事としての出会いではあるのですが、ちょっとずつ、そしてどんどんケアにのめりこんでいったし、引き込まれていった。
「産まれたときには、誰でもお世話してもらわないと生きていられないのだがら、依存しない状態を自立と呼び、それを当たり前だと思うのは、ちゃんちゃらおかしい」なんて考えは、私にとってはパラダイムシフト以外の何物でもなく、それこそそれを知る前には戻れない、という概念との出会い、って感じでした。じわじわ、ちょっとずつでしたけど。
これから先、どんなことがあっても、このようなケアの概念との出会い、と自分とは、切って切り離すことはできないな、と思います。




はい。ヘビーリスナーが、ゲストとして、ブースに呼ばれて話す、みたいなことを経験し、さらにその放送を聞き直しての文章を上げる、というわけが分からないことをここまでやらせていただきました。
様々書いてきましたが、感想を、と聞かれれば、「いやあー、楽しかったぁ~」の一言に尽きると思います(笑)。
収録を通して自分が得たことは、本番でも語っていたように、自分の関心や何に重きを置いているかを改めて知れる機会になったということと、芸術家の自己をもっと大切にしてあげないといけないと思えたこと、染まるときには思い切って染まることも必要、という気づきなどでした。
しかし何よりも、準備も含めた収録に向かっている時間の一秒一秒が、かけがえのない時間になっていたな、と思います。
20夜の最後、自分の中の熱い/冷たいを外から眺める、他者とコミュニケーションしながら、自分と対話しながら、そして伊藤さん自身の生き方にもヒントをもらいつつ、「どう生きるべきか」を相互的に探究していく、という話になりました。
「きくかくしかじか」が、初めからずっとそうだったように、きくこと、かくこと、はなすこと、これらことば、そしてからだを使ってなされる何ものかは、必ず「生きる」とつながっているということのあくなき再確認をしていくこと。
その大きな流れの中で、あちこちに引っかき回しつつも、最後まで一冊を語り終えられた、ということは、自分の人生にとってのこの上ない喜びだったと、間違いなく言えます。
この場を借りて、あらためて、しのさんともりもさんに、最大限の感謝をお伝えしたいと思います。
本当にありがとうございました。

それではまた、「ケアする読書家ただっちのきくしか書感」、第21夜で皆様にお会いできることを、楽しみにしております。

 

 

 


→聞き直しはこちらから