実は移植前日の夜


『こどもを育てる責任がない』
『こわい』
『気持ちが追い付かない』


と、自分の人生のテーマ(勝手に思っている)にぶちあたり、大喧嘩。


生まれてこのかた、
物心ついた頃から

『赤ちゃんってかわいい』
『お母さんになりたい』
『結婚したらこどもは●人ほしい』

などなど

そういうことを、純粋に思ったことがないんです


っとここで、衝撃発言。

真顔


小学生中学年頃になると、
お友だちの中には、将来『保育士さんになりたい!』『お母さんになりたい!』

と言うこも多かったです。


そのたびに、幼いながら
そういう気持ちになれない自分は
『おかしい』『変わってる』んじゃないかと
自分にモヤモヤーっとしていました


高校に上がる頃には

『はやくこどもがほしい』
『こどもは女の子がいい、男の子がいい』
『●歳で結婚したい』

というお友だちも多くなりました。

ここでも、違和感です。


自分に。


働いてからは、
赤子の写真を見せられたり
職場に挨拶に来てる育休中のかたとお話ししてても(赤子連れです)
抱っこさせてくれても


周りのひとみたいに、
『かわいい!』
『癒される!』


なんて実はちっとも思えなかったんです。


嫉妬とかそんなんじゃなくて。

でも理由はわかりません。


嫌いじゃないし、
小さい子と遊ぶのはいけるし。

おいらみたいな『変』なやつになったら嫌だから?



よくわからなくて。


ネットなんかで
『こどもを産むのがこわい』
『育てる覚悟』
とか調べると

大体が出産自体の恐怖とかやったり
相談の回答が

『産めばわかります』
『そんなこと考えすぎ』(これ、現実でも言われたことある)

だったりして

違うんだよおおお


ってなった20年以上の積み重ねが
移植前日の夜。


夫には『意味不明』でしかなかったとおもいます。


ちなみに、こんなおいらが不妊治療をしている理由は
結果的に『こどもを持つ』という選択を
『夫』としたからです。

まだ持ててないけども、
とりあえず、今の自分たちの希望だからです。


うーん、
なんかうまく言えないけど
少数派か?
極悪非道なのか?