8月7日散策/富海
防府市の東端の瀬戸内海に面していて、かつては漁港として、ここから小型のスピードの速い飛船が、大阪や瀬戸内沿岸の地を行き来していたんですって
二人乗りの小型快速船なんだけど、僅か数日で大阪まで行けちゃうみたいだったから、
幕末の勤皇の志士たちの活動にも、その飛船が大きな役割を果たしているのよね
この日は、この夏いちばんの暑さでね
割と遅い時間に海に着いたんだけど、全然、海水浴の家族連れも少なく、車はガラガラ
砂浜は思ったより狭く、あれ???こんなもん???
鳥取あたりは38℃だったみたい
聞いたことがないよ━━━━━━埼玉の熊谷あたりは今年はどうだったのかしら
全く持って何も準備しないで来ちゃったものだから、滞在時間3分
だってまるで殺人的な灼熱、地獄のような暑さ
それ以上滞在してたら、きっと死ぬ
いや…次からはイスやパラソルをちゃんと持って行くよ………
なんなら、テントでも
お弁当にサンドイッチは作ったんだけど、こんな炎天下でパンなんか喰えるか
ボカッΣ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノキック
しかも、朝から汗だくになって作ったんだけどね━(゚∀゚)━ゲラゲラ
(撮影2016・2・28/三田尻御舟倉跡)
わたし、地図わからなかったんだけど、近くには萩藩の水軍の根拠地でもあり、三田尻海軍局もあった三田尻御舟倉跡があるんだけど、
現在は通堀と、それに通じる船入水路の一部しか残されていないんだけどね
この三田尻御舟倉跡=富海かと勘違いしてたよ~苦笑
ここで高杉晋作は、下関で決起のあと、ここにあった三田尻海軍局に乗り込んで、藩の軍艦を奪っているんだけど
海自体は、とっっっても綺麗なんだけど、あかん(>_<)暑くて暑くて、心の臓が止まりそう
楫取素彦夫妻は、富海に別荘を購入してね
海水浴を楽しまれたらしいのよ
ペリー来航の年には、吉田松陰先生がここから飛船で江戸へ向かっているし、ここには飛船が80隻もあったらしいし、大阪~富海まで1週間ほどだって
禁門の変でもここから久坂元瑞や来嶋又兵衛さんも出港しているし、四カ国艦隊下関砲撃の時は留学先のイギリスから急遽、伊藤博文や井上馨がこの富海に上陸しているわ
七卿や中山忠光もここの飛船を使われているのよね
海の周辺には史跡がいっぱいあるんだけど、今日みたいな猛暑日に散策は超~~~無理号泣
秋になったら、ゆっくりお散歩しよ
もぉ━━━━━━帰るぅ
胸きゅん、してる?
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