鷲原八幡宮大祭/島根県鹿足郡津和野町 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

4月10日散策/鷲原八幡宮大祭


神事の前に御祈願
まるでタイムマシンで室町時代に戻ったかのよう

こうゆう弓馬礼法ってね
寛平8年(896)宇多天皇が源能有に命じて制定されてから、馬上における実戦的弓術の一つとして平安時代から存在しているらしいのよ

千年以上前からあるものなのね!スゴ~い



時代の流れで、それまで個人の武勇に頼っていた時代から兵法や兵器が進化して足軽や鉄砲による集団戦闘の時代になった室町時代・安土桃山時代あたりからは、一時廃れたこともあったみたい



江戸時代あたりから、時の将軍徳川吉宗の命を受けて、小笠原流20代小笠原貞政さんが研究して新たな流鏑馬を制定して、古式と共に奥勤めの武士達に流鏑馬や笠懸の稽古をつけたことから、今に繋がれているのね



当時のそれは、徳川家重の世嗣ぎのために疱瘡治癒祈願として流鏑馬の儀を執り行って奉納したのが始まりで、この後は将軍家の厄除けや誕生祈願の際などに度々流鏑馬が行われるようになったんだそうよ



明治維新を経て幕府が解体し、第二次世界大戦などと、これまでに三度の衰退をみることになるんだけど、明治以降も継承され続けて現在に至るのね



流鏑馬(鏑流馬やぶさめ)とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式のことを云うんだけど、

馬を馳せながら矢を射ることから「矢馳せ馬(やばせうま)」って呼ばれていたんだけど、時代につれて「やぶさめ」と呼ばれるようになったんですって



小笠原流の初代小笠原長清氏は高倉天皇によって、その姓を与られたといわれているのねあっっ

源頼朝の弓術師範を務め、その息子である長経も、源実朝に弓術の手ほどきをしているほどよ



長経の2人の息子のうち、長男の長忠は惣領家を守りながら弓馬術礼法を継ぎ、弟の清経の家系とよく助け合って幕府に御家人として仕えているのね

両家七代目の貞宗と常興の時、共に後醍醐天皇に仕え、その全容を「修身論」「体用論」という書物にまとめているんだけど、それが小笠原弓馬術礼法のベースになっていると伝えられているわ



流鏑馬の流派は小笠原流と武田流があるそうで、わたしはお正月にテレビで小笠原流を初めて知ってね
もぉすっかり小笠原流の

大ファンよブッ



そういえば、オッパの地元でもある神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮でも4月と9月に流鏑馬神事があるけれど、春は武田流、秋は小笠原流なんですって?

武田流は全く知らないんだけど、二つの違いは



武田流=馬を全力疾走させながら矢を射る
小笠原流=馬を疾走させながら矢を射る

……え(°Д°;≡°Д°;)もっかい言って´艸`汗



はぁぁぁラブラブラブ
まるで王朝絵巻を見ているようよ

うっとり…



テレビでしか見たことがなかった流鏑馬神事を、

日本に現存する流鏑馬の馬場としては最古の姿を残す鷲原八幡宮で行われる、ここ津和野の流鏑馬を肉眼で見ることが出来るなんてきらきら(赤)

なんてわたしは幸せなんだろうキラキラ



萎烏帽子をかぶり、その上には藺草で編んだ綾藺笠

水干を着て、射籠手つけ、

腰には行縢(鹿の夏毛革の覆い)

足には物射沓

太刀、腰刀…

なんて古式ゆかしく勇ましいんだろうにこっ

毎年4月の第二日曜日に、この津和野の鷲原八幡宮で小笠原流の古式にのっとった流鏑馬が奉納されて、地元の射手と競い合うらしいの

これは毎年楽しみだわヾ(o´∀`o)ノ
まだ見ていないうちから、オッパに「また来ようね、また来ようね」と、おねだりがびょーん



実は、お席買っちゃった~♪

初めての流鏑馬デビュー
的の真ん前だけど、わたしにとっては神席だわきらきら(赤)きらきら(赤)きらきら(赤)
オッパありがとう






ぺこぺこり


1889年の今日は、喜劇俳優であったチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた日だよ。

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